2004.5.22 京都−石橋

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  旧友のY氏と二人で西国街道を歩き始めました。

左は出発地の京都の羅生門跡です。


 国道を歩くことがほとんどなく快適な旧街道歩きである。

場所によっては、整備され、舗装もきれいにされている。


 桂川を渡って向日、長岡京をすぎ歩いて行くが・・・・

 Y氏は歩き慣れていなくて山崎あたりで足が痛くなり、櫻井の駅跡を通って、・・・高槻でダウン。高槻に勤めているT氏の薦めのラーメンを啜って別れる。

そこからは一人旅です。


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 高槻から出てすぐ芥川の宿です。一里塚跡もありました。


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 しばらく歩いて郡山は昔の宿場の雰囲気が残っていたりでよかったのですが、久しぶりで最後には足にまめができました。櫻井からは惰性で石橋まで。


 国道(171号線)を歩くことが少なく、歩きやすいコースです。時間があれば山崎のサントリーを見学してみるのもお勧めです。


 GPSを持っての街道歩きは最初なので、カシオペアからウェイポイントデータとしてeTrexにデータを送ってみたり、トラックデータとして送ってみたりルートデータとして送ってみたり、カシオペアと繋いでカシオペアに現在地を表示させながら歩いたり、いろいろ試してみましたが、GPSにはウェイポイントデータとして西国街道のデータを送って、道に悩んだときにはeTrexの画面を見ながらルートを確認するのが一番使い勝手がよいと思われました。


 なお、Y氏は後日に高槻から石橋まで頑張って歩いたそうです。


2004.6.12 石橋−香枦園 


 天気がすっきりしない中、石橋からY氏と歩き始める。通った大学の近くだが、知らない道である。旧街道らしい雰囲気もそこそこ残っている。


 国道と合流し、軍行橋をわたり、国道から南にはずれる。辻の碑を過ぎ、和泉式部の墓を寄り道してみて、昆陽寺の前は南に迂回し通らない。


 だいぶ歩いて武庫川にでるが、髭の渡しがあったそうだが、今はないので甲武橋まで迂回することになる。結構距離があり、Y氏は文句を言っている。


 旧街道は国道を北にはずれていくが、野球で有名は報徳学園があった。しばらく住宅地を行く。阪急門戸厄神のあたりで食事どころを探すが、最初のお好み焼きに入らなかったのが災いして適当なところが見つからない。広田町の中央運動公園のそばでお好み焼きがあり入って生ビールとお好み焼きと焼きそばを楽しむ。


 西宮は西国街道の道は失われているところが多いようで、適当に西宮神社まであるく。

 香枦園でY氏足がもたなくなり、阪神電車で帰る。


2004.6.13 香枦園−須磨 


香枦園からしばらくで浜街道と分かれるのだが、阪神電車がじゃまして渡れない。

少し先の踏みきりで浜街道と別れ、打出へ。しばらくして国道歩きになる。

30年前の頃と違ってラーメン屋が多くなっている。


 住吉神社でトイレを借りて、御影からしばらくは国道を離れて歩く。震災のときはメインロードになっていたらしい。

Y氏宅のそばを通過して三宮へ。たこ焼き屋に入ってビールとたこ焼きで昼飯である。30年ほど前にはすぐ近くのボーリング場で1ゲーム100円の早朝ボールをした思い出など話が弾む。


 センター街を横切って、元町を通って神戸駅へ。

兵庫駅でY氏の知り合いの喫茶店でしばし休憩である。


 月見山まで行ってまた喫茶店で休憩し、程なく須磨駅へ。

Y氏の足も今日は調子よかった。


2004.6.26 浜街道 香枦園−三宮 


 Y氏が浜街道を歩いたというので、小雨ながら一人で浜街道を歩く。


43号線を歩くことが多い。戦後の高度成長の時に、歴史もへったくれもなく、経済を優先させたからであろうか。歩いているときの車の騒音と排気ガスは鬱陶しい。


白鶴や菊正宗の看板が出てくる石屋川を過ぎてから大体は国道からはずれて歩くことができる。はずれたあたりには酒造りの見学などできる場所も多く、時間があると見てみるのがお勧めである。大石川を過ぎると実家の下のあたりだが、灘製菓の工場などある。


 三宮に至り、センター街を歩いて本街道と合流する。

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