2006年11月9日
5時に起きて5時半に出発する。まだ暗い。街道まで戻り、少し行くと石畳の道になった。
このさき石畳の登りは少しで峠らしきところにでるが、そこから山道となり、進むにつれてみちがあやしくなってくる。なんとかたどっていくと、JRのトンネルの出口の真上に出るが、その先がさらに道がわかりにくくなるが、民家も見えてきたので何とか下り、舗装路に出た。草の実がズボンにたくさんくっついて大変である。
越える道はないようなのでトンネルを抜け玖波の町に入った。
このさき、角屋釣井があるが、そこで右に曲がるのか、もう一つ先で右に曲がるのか、人のHPでも両方あり、不明であったが、角屋釣井のところで曲がることにした。そのさき真っ直ぐ行くと学校の横の坂をあがるが、街道らしくない。どこかで一本左にずれるように思われる。その先は広島岩国道路に沿っていたようだが残っていないらしい。
広島岩国道路からの下って小方に入る。下りの道は、あるHPに乗っていた地図を参考にしたが、下りきったところで左から来ている道が街道らしい道で、もっと早く下るのか正解かもしれない。
少し先には句碑があった。
ここから、御園川に沿って苦の坂に向かったが、造り酒屋のところで真っ直ぐ行く方が正解のようである。
苦の坂の入り口が豪雨災害で上れなくなっているとの人のHPの情報で、復旧していないかとか、崩れている側をよじ登るなどできないかと思いながら登り口に着いたが、登り口は梅畑となっており、畑が荒れるので立ち入り禁止との立て札があった。畑に入らないで左の藪に突入して、トゲのある草木に苦労しながら梅畑の上を右手にトラバースしていくと何とか山道に出た。そこからは簡単に苦の坂頂上に着いた。
苦の坂の下りもこのような快適な山道です。梅畑のところが立ち入り禁止となっているが、他のところは手入れがされているようだ。
木野側の登り口に着きました。
小瀬川沿いに下っていきますが、少し先には大元神社がありました。
両国橋で小瀬川を渡り、小瀬峠に登り出す角に吉田松陰の歌碑があった。
小瀬峠の登りの一部は車道とは分かれて地道が残っている。下りにも旧山陽道の出口があったが、入り口が判らなかったので通過してしまった。
下って関戸宿に入る。吉田松陰の碑と、右の土塀は本陣跡だそうです。
山に沿って、車のよく通る道を歩き、錦川を渡って田舎道に入る。新幹線を越え御庄宿に入る。多賀山神社がありました。
御庄川にそってしばらく歩き、左に分かれて柱野宿に入りました。
宿を出て少し行くと、千体仏の標識があり、右手にはいるとお堂がありました。
お堂の中には小さな仏像がたくさん並んでいました。
国道と平行した田舎道が続きます。大分登って中の峠に着きました。
欽明路峠も越え、少し道を間違えたりして下っていると、旧山陽道の看板がありました。
さらに下ると欽明寺があります。
しばらく歩くと玖珂の町(本郷市)に入ります。
義民、田坂一良右衛門の碑がありました。
本郷市に入って、右手は恵比寿神社で手前に明覚寺が並んでいます。
町の終わりかけのところに菅神社がありました。
少し行くと、常夜灯と妙見社の道標がありました。
高森市に近づくと、椙杜八幡宮がありました。
高森市の町並みです。
本陣跡がありました。
町はずれで島田川にぶつかるところに高森神社がありました。
ここから、島田川に沿ってしばらく歩きます。
義奴碑がありました。
車道を離れて、川沿いの静かな道を歩くところもあります。
島田川を離れて、中山峠に向かいます。少し登ったところに観音石仏があります。
ここから旧道が分かれるようになっていると、分かれていって見たがよく分からず迷ったあげく又ここまで戻って登ることとなった。
峠には郡境を示す道標があった。
ずっと下って、高水を過ぎ、呼坂市に入ると本陣跡がありました。
この先、しばらく行くと適当な空き地があったので、今日はここまでとした。耳栓持参なので車がたくさん通る側でも快適である。