2006年11月8日
Y氏は連続して休めないので、年休をまとめて取って5連休とし、一人で下関に向かって歩くことにしました。小さなテントとシュラフを持って、大阪発広島行きのJR夜行バスで広島駅に6時過ぎに到着しました。
ここから少し東に戻って前に歩き終わったところから西国街道を歩き始めます。
川を2つ渡って南に向かい、コンビニで朝飯を仕入れて、西にそれほど広くない通りを行きます。
パルコのところから突然アーケードが始まります。
3つ目の川を渡るところの右手に原爆ドームがありました。
川を渡ると平和記念公園です。
川をさらに3つ渡って西広島の駅前をとおり、しばらくいくと鷺森神社がありました。
草津の川の手前に造り酒屋の小泉酒店があります。
こちらが建物です。江戸時代の終わり頃に建てられたそうです。
JR新井口駅をすぎると正順寺がありました。
このお寺を真っ直ぐ越えたところから左に登るのが街道だそうで、荒れた道を登っていきます。踏み跡がだんだんなくなり、左にトラバースしていくと、小学校の校庭の上に出ました。校門は閉められていたけど鍵はかかっていなかったので無事通過することができました。
八幡川を渡り、五日市をしばらく行くと、JRを越えたところに街道松が残っていました。
川に沿って少し下り、すこしいくと一里塚跡がありました。
少し先にはさっきより立派な街道松がありました。
少しで廿日市天満宮がありました。本殿は高いところにあります。
向かいに本陣跡の碑があります。
食べ歩きをして、道を行き過ぎかけたりしながら御手洗川にぶつかり、川に沿ってのぼっていくと一里塚跡の碑がありました。
川と分かれて四郎峠に向かうところに道標とおもいきや夜泣き石だそうである。
峠を越え降りてくると観音堂がありました。ここから車のよく通る道からはずれます。
足の裏が少し痛くなってきました。
細い道や地道となります。
お稲荷さんがありました。
少し先に三槍社があります。
少し先には高庭駅舎跡がありました。
新幹線の左に添って少し歩いたあと川を渡り左にはいると西教寺がありました。山門がなくなっていました。
少し行った学校の前に道標がありました。
足の裏が大分痛くなってきたので、休んで救急絆創膏で応急手当です。
大野浦駅をすぎ、緩やかな登りです。この舗装の下は石畳が残っているそうです。
広い道を横切って石畳の道となります。
広島岩国道路にそって歩き、地道となって残念社がありました。
少し行くとまた鳥居があり、少し登ると依田神社があるそうだ。後ろの山は岩がごつごつしていて美しい。
大竹の海が見えてきた。
海岸のそばに出たので、海岸に出てみる。近くにコンビニもあり、足の裏も痛いので、本日はここまでとし、足をゆっくり休めることとした。