當國雲岸寺のおくに佛頂和尚山居跡あり。
竪横の五尺にたらぬ草の庵、むすぶもくやし雨なかりせバ
と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡ミんと、雲岸寺に杖を曳バ、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく、道のほど打さハぎて、おぼえず彼梺に到る。山ハおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉 黒く、苔したゞりて、卯月の天今猶寒し。十景盡る所、橋をわたつて山門に入。
さて、かの跡ハいづくのほどにやと、後の山によぢのぼれバ、石上の小菴岩窟にむすびかけたり。妙禪師の死關、法雲法師の石室をみるがごとし。
木啄も庵ハやぶらず夏木立
と、とりあへぬ一句を柱に残侍し。
一 五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天氣吉。
一 六日ヨリ九日迄、雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
一 十日 雨止。日久シテ照。
一 十一日 小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。
一 十二日 雨止。図書被見廻、篠原被誘引。
一 十三日 天氣吉。津久井氏被見廻テ八幡ヘ参詣被誘引。
一 十四日 雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参。
一 十五日 雨止。昼過翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ被参。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病氣故不参。
5日(新暦23日)朝曇、後晴 同
雲岩寺を訪ねる。笠松峠の旧道の入り口は草木が生い茂り、通れる状態ではなく、新道を歩きました。
6日(新暦24日)雨 同
7日(新暦25日)雨 同
8日(新暦26日)雨 同
9日(新暦27日)雨 同
光明寺を訪れる。
10日(新暦28日)雨やむ、一時晴 同
11日(新暦29日)小雨、夜強雨 黒羽 翠桃
12日(新暦30日)雨やむ 同
犬追物と玉藻の前の古墳を訪れる。古墳は、原形をとどめず、狐塚跡の標柱だけが残っていて。「狐塚」の霊を移したという祠が1Kmほど手前の玉藻稲荷神社にあります。こちらのルートは、どの順序で芭蕉が歩いたかわからないので作成していません。
明治42年測量の地図では、犬追物の標識がある場所とともに、もっと余瀬の近くにも土囲に囲まれたところがあります。ここも犬追物だったのでしょうか。そうならこちらを芭蕉は見た可能性もあります。
13日(新暦31日)晴 同
金丸八幡宮を訪れる。
14日(新暦6月1日)雨 同
15日(新暦2日)雨やむ 黒羽 浄法寺図書