那須の黒ばねと云所に知人あれバ、是より野越にかゝりて直道をゆかんとす。 遥に一村を見かけて行くに、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れバ又 野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれバ、野夫といへども さすがに情しらぬにハ非ず。いかゞすべきや、されども此野ハ縦横にわかれて、 うゐうゐ敷旅人の道ふミたがえん、あやしう侍れバ、此馬のとゞまる所にて馬を 返し給へと、かし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。獨は小姫 にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
かさねとハ八重撫子の名成べし 曾良
頓て人里に至れバ、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。
一 同三日 快晴。辰上尅玉入ヲ立。
鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ澤村ヘ壱リ。
澤村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。
翠桃宅、ヨゼ(濁モト)ト云所也トテ、貳十丁程アトヘモドル也。
3日(新暦21日)快晴 黒羽 翠桃
矢板、沢を経て大田原へ。
矢板までに少し旧道が残っているところがあり、矢板でも長峰公園沿いに左に行くのが旧道のようです。
箒川を渡る橋が、芭蕉が馬を借りた農家の女の子の名前の「かさね」をとってかさね橋となっている。この農家は薄葉から実取にあったとの説がある。
大田原を過ぎ、奥沢から左に行く新道ができたが、昔の街道のところに、更にバイパスができたようで、バイパスが旧道沿いのようです。
芭蕉は黒羽から余瀬に戻ったらしいですが、ルートは来た道ではなく真っすぐ余瀬に戻るようにしました。