日光

奥の細道本文

 卯月朔日御山に詣拜す。往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時日光と改給ふ。千歳未來をさとり給ふにや、今此御光一天にかゞやきて、恩澤八荒にあふれ、四民安堵の栖穩なり。猶憚多くて筆をさし置ぬ。

  あらたうと青葉若葉の日の光

黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。

  剃捨て黒髪山に衣更 曾良

曾良は河合氏にして、惣五郎と云へり芭蕉の下葉に軒をならべて予が薪水の労をたすく。このたび 松しま象潟の眺共にせん事を 悦び、且は羈旅の難をいたはらんと旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字力ありてきこゆ。

廿餘丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て滝の裏よりみれば、うらみの瀧と申傳え侍る也。

  暫時は瀧に篭るや夏の初

随行日記

一 同二日 天氣快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵(濁モト)見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈須・太田原ヘ趣、常ニハ今市へ戻リテ大渡リト云所ヘカヽルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。
〇今市ヨリ大渡ヘ貳リ余。
〇大渡ヨリ船入ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川ヲカリ橋有。大形ハ船渡し。
〇船入ヨリ玉入ヘ貳リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強。漸ク玉入ヘ着。
一 同晩 玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。

奥の細道ルート案内

マーカーリスト

説明

2日(新暦20日)快晴、午後より雷雨強 玉生 名主の家

 裏見の滝と含満が淵を見物し、瀬尾、川室、大渡、船生を経て玉生へ。
 芭蕉庵ドットコムでは霧降大橋を渡ったのではなく筋違い橋付近を渡ったとあるが、大谷川を渡るのに橋はないので、すこし上流の人専用の橋を渡ります。
 随行日記によれば瀬尾を通ったようであり、瀬尾から会津西街道に出る適当な道がないので、遠回りになるけど、大谷向を通っていくこととしました。
 会津西街道を大桑に向かって歩き、バイパスを過ぎたところから、真っ直ぐ川室に向かう道があります。明治の地図にもあるようで、こちらを歩くのもいいかもしれません。芭蕉が歩いたころにもこちらの道があったなら、近道になるのでこちらを歩いた可能性もあり、ルートは両方にしています。

 旧道で船生を過ぎ、国道と合流する天頂から、国道の南に平行して矢板線の廃線後が続いています。こちらを歩くのもお勧めですが、芭蕉が歩いた道からは外れてしまいます。
 玉生の芭蕉の史跡のところが名主の家(旧尾形医院跡)のようである。

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