敦賀

奥の細道本文

漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。鴬の関を過て湯尾峠を越れば、燧が城、かへるやまに初鴈を聞て、十四日の夕ぐれつるがの津に宿をもとむ。

その夜、月殊晴たり。あすの夜もかくあるべきにやといへば、越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたしと、あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜参す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる。おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。古例今にたえず。神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持と申侍ると、亭主かたりける。

 月清し遊行のもてる砂の上

十五日、亭主の詞にたがはず雨降。

 名月や北国日和定なき

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説明

13日(新暦26日) 湯尾か今庄

 「比那が岳」「あさむづの橋」「玉江の芦」「鴬の関 」「湯尾峠」「燧が城 」、「帰山 」と多くの歌枕をみる。
 帰山は、随行日記には燧が城から十丁ほどいった左にあり、カエル村の上にあるように書かれています。南今庄の集落が、昔は鹿蒜村であって、そこにある鹿蒜神社の上が帰山(鹿蒜山)と説明されているHPなどがあって、符合するのですが、左ではなく右にあることになります。左右を間違ったのでしょうか。

14日(新暦27日)晴 敦賀 出雲屋

 木の芽峠を越えて敦賀へ。

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