那古の浦

奥の細道本文

くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。擔篭の藤浪は春ならずとも、初秋の哀とふべきものをと人に尋れば、是より五里いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじといひをどされて、かゞの国に入。

 わせの香や分入右は有磯海

随行日記

○十三日 市振立。虹立。泊ニテ玉木村。市振ヨリ十四五丁有。中・後ノ堺、川有。渡テ越中方、堺村ト云。加賀ノ番所有。出手形入ノ由。泊ニ至テ越中ノ名所少ゝ覺者有。入善ニ至テ馬ナシ。人雇テ荷ヲ持せ、黑部川ヲ越。雨ツヾク時ハ山ノ方ヘ廻ベシ。橋有。壹リ半ノ廻リ坂有。晝過、雨聊降晴。申ノ下尅滑河ニ着、宿。暑氣甚シ。

○十四日 快晴。暑甚シ。冨山カヽラズシテ(滑川一リ程來。渡テトヤマヘ別。)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計。)氷見ヘ欲レ行、不往。高岡ヘ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻、着テ宿。翁、氣色不勝。暑極テ甚。少□同然。

奥の細道ルート案内

マーカーリスト

説明

13日(新暦27日)昼過ぎ一時雨 滑川

 雨ではないので、下街道を行ったようだ。黒部川を渡って滑川へ。

14日(新暦28日)快晴 高岡

 神通川は昔は岩瀬の渡し。放生津、奈呉の浦を見、高岡へ。右の山が二上山。庄川のそばの野村のあたりが岩瀬野(石瀬野)。
 江戸時代は庄川は小矢部川と上流で合流し、小矢部川のところを流れていたようで、川を渡らないでまっすぐ高岡に向かったと思い、吉久を通って歩いたが、帰ってから随行日記を見ると、「ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計。」の後に「氷見ヘ欲レ行、不往。」とあります。庄川・小矢部川を伏木に渡って、氷見に行くのを諦めたと解釈するのが自然でしょうか。伏木経由のルートもルートマップに加えました。

次ぎ 戻る ホーム