羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
暑き日を海にいれたり最上川
〇十日(曇。) 飯道寺正行坊入來、会ス。昼前、本坊ニ至テ、蕎切・茶・酒ナド出。未ノ上刻ニ及ブ。道迄、圓入被迎。又、大杉根迄被レ送。秡川ニシテ手水シテ下ル。左吉ノ宅ヨリ翁計馬ニテ、光堂迄釣雪送ル、左吉同道。ヽ小雨ス。ヌルヽニ不及。申ノ刻、鶴ヶ岡長山五良右衛門宅ニ至ル。粥ヲ望、終テ眠休シテ、夜ニ入テ發句出テ一巡終ル。
〇十一日 折々村雨ス。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶ス。
〇十二日 朝ノ間村雨ス。昼晴。俳、歌仙終ル。
〇羽黒山南谷方(近藤左吉観修坊、南谷方也)・且所院・南陽院・源長坊(山伏)・光明坊・息平井貞右衛門 本坊芳賀兵左衛門・大河八十良・梨水・新宰相。△花蔵院△正隠院、両先達也。圓入(近江飯道寺不動、院ニテ可尋。)、南部城下(7ノ戸)、法輪陀寺内浄教院珠妙。△鶴ヶ岡、山本小兵ヘ殿、長山五良右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
〇十三日 川船ニテ坂田ニ趣。船ノ上七里也。陸五里成ト。出船ノ砌、羽黒ヨリ 飛脚、旅行ノ帳面被調、被遣。又、ゆかた二ツ被贈。亦、發句共も被為見。羽黒ヨリ飛脚。旅行ノ帳面被調、被遣。又、ゆかた二ツ被贈。亦、發句共も被為見。船中少シ雨降テ止。申ノ刻ヨリ曇。暮ニ及テ、坂田ニ着。玄順亭ヘ音信、留守ニテ、明朝逢。
〇十四日 寺島彦助亭ヘ被招。俳有。夜ニ入帰ル。暑甚シ。
10日(新暦26日)曇、のち小雨 鶴岡 長山五郎右衛門重行
羽黒街道を鶴岡まで。歴史の道では、鶴岡にまっすぐ県道に沿って行くのではなく、手前で国道345号線のほうに行くようになっていて、疑問に思っていたのですが、天保の国絵図では、羽黒山からの道は、清川から鶴岡への今の345号線に合流して、赤川を渡って鶴岡に入るようになっているので、歴史の道のとおりでよいように思えます。
11日(新暦27日)時々村雨 同 同
12日(新暦28日)朝村雨、昼より晴 同 同
13日(新暦29日)小雨、後曇 酒田 伊藤玄順
舟で酒田に向かったらしいが、今は船便もないようで、歩いていくことに。なるべく芭蕉が乗った舟が通った川沿いの道をルートとした。
14日(新暦30日) 同 同