尿前の関

奥の細道本文

南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎みづの小嶋を過て、なるこの湯より、尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

 蚤虱馬の尿する枕もと

あるじの云、是より出羽の国に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究境の若者反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我我が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森〃として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて、仕合したりと、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。

随行日記

「二」岩手山ニ宿ス。眞坂ニテ雷雨ス。乃晴、頓而又曇テ折々小雨スル也。「二」中新田町小野田(仙台ヨリ最上ヘノ道ニ出合。)  原ノ町  門澤(関所有。)渫澤  軽井澤  上ノ畑  野邊澤   尾羽根澤  大石田(船乗)  岩手ヨリ門澤迄すぐ道も有也。

一 十五日小雨ス。 右ノ道遠ク、難所有之由故、道ヲかヘテ、二リ、「二」宮。

〇 壱リ半

○かぢハ澤(此邊ハ眞坂ヨリ小蔵ト云かゝリテ)此宿ヘ出タル、各別近シ。

○此間、小黒崎・水ノ小嶋有。名生(ミヤウ)貞(サダ)ト云村ヲ黒崎ト所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩嶋ニ松三本、其外小木生テ有。水ノ小嶋也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。宮・一ツ栗ノ間、古ヘハ入江シテ、玉造江成ト云。今、田畑成也。尿前(一リ半、シトマヘヽ取付左ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有、澤子ノ御湯成ト云。仙台ノ説也。)関所有、断六ヶ敷也。出手形ノ用意可有之也。(一リ半)中山。

○堺田(村山郡小田嶋庄小國之内。出羽新庄領也。中山ヨリ入口五・六丁先ニ堺杭有。)

○十六日 堺田二滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也。)

○十七日 快晴。堺田ヲ立。(一リ半)笹森関所有。新庄領。関守ハ百姓ニ貢ヲ宥シ置也。(ササ森、三リ)市野ゝ。小國ト云ヘカヽレバ廻リ成故、一バネト云山路ヘカヽリ、此所ニ出、堺田ヨリ案内者ニ荷持せ越也。市野ゝ五六丁行テ関有。最上御代官所也。百姓番也。関ナニトヤラ云村也。正厳・尾花澤ノ間、村有。是、野邊澤ヘ分ル也。正ゴンノ前ニ大夕立ニ逢。昼過、清風ヘ着、一宿ス。

奥の細道ルート案内

マーカーリスト

説明

15日(新暦7月1日)小雨 堺田 和泉庄や新右衛門兄

 芭蕉は鳴子温泉は通らず、尿前の関のところで渡しをわたったようであるが、すこし手前に歩いて渡れる橋があります。尿前の関からは旧道が整備され残っています。

16日(新暦2日)大雨 同

17日(新暦3日)快晴、大夕立有 尾花沢 鈴木清風

 笹森番所跡を過ぎ、川を渡って新屋聖観音のところを通って明神集落まで旧道は行っていたようですが、明神集落までの道が残っていないようで、行くならあぜ道をたどらなければならないようです。
 山刀伐峠を越え尾花沢まで。

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