三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて高館の下にて、大河に落入。泰衡等が旧跡は衣が関を隔て南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり。城春にして草青みたりと笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良
兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降のこしてや光堂
一 十三日 天気明。巳ノ尅ヨリ平泉ヘ趣。(一リ)山ノ目、(一リ半)平泉ヘ(伊達八幡一リ余リ奥也)以上貳 里半ト云トモ貳リニ近シ。高館・衣川・衣ノ関・中尊寺・光堂(別當案内、金色寺)・泉城・さくら川・さくら山・秀平やしき等を見ル。霧山(泉城ヨリ西)見ゆルト云トモ見ヘズ。タツコクガ岩ヤヘ不行。三十町有由。月山。白山ヲ見ル。経堂ハ別當留主ニテ不開。金鶏山見ル。シミン堂、旡量劫院跡見、申ノ上尅帰ル。主水風呂敷(ママ)ヲシテ待。宿ス。
一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。(四リ)岩崎(一ノハザマ、栗原郡也、藻庭大隅)(三リ)眞坂(三ノハザマ、此間ニ二ノハザマ有。栗原郡也)岩崎ヨリ金成ヘ行中程ニつくも橋有。岩崎ヨリ一リ半程、金成ヨリハ半道程也。岩崎ヨリ行ば道ヨリ右ノ方也。((*岩崎より)四リ半)岩手山、伊達將監)やしきモ町モ平地。上ノ山ハ正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。入口半道程前ヨリ右ヘ切レ、一ツ栗ト云村ニ至ル。小黒崎可レ見トノ義也。遠キ所也(二リ余)。故、川ニ添廻テ及暮。
13日(新暦29日)晴 同
平泉中尊寺まで往復。高館、衣川、衣ノ関、中尊寺、金色寺、泉城、さくら川、さくら山(束稲山)、秀平屋敷、月山、白山、金鶏山、無量光院、無量光院跡をみる。
随行日記に「霧山(泉城ヨリ西)見ゆルト云トモ見ヘズ」とあり、芭蕉は泉ケ城まで行ったようです。ルートは衣川をぐるっと回るようにしています。また、昔は金色堂から真っすぐ西に向かう道があったようですが、今はないようです。
14日(新暦30日)晴、途中雷雨後小雨 岩出山
芭蕉庵ドットコムに尾花沢までの案内が詳細にある。残っている旧道もなんとか歩ける状態でした。