それより野田の玉川沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造りて末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も終はかくのごときと悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が嶋もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声声に、つなでかなしもとよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず。ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。
未ノ尅、鹽竈ニ着、湯漬など喰。末ノ松山・興井・野田玉川・おもハくの橋・浮嶋等ヲ見廻リ帰。出初ニ鹽竈ノかまを見ル。宿、治兵ヘ、法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。
塩竃に着いてお釜神社をみてから、末の松山、沖の井、野田の玉川、おもわくの橋、浮島等を見物したようだ。JR塩釜駅までのルートはよくわからないので、行きと帰りで別の道とした。