壺の碑

奥の細道本文

かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年〃十符の菅菰を調て国守に献ずと云り。

 壷碑市川村多賀城に有

つぼの石ぶみは高サ六尺餘横三尺計歟。苔を穿て文字幽也。四維国界之数里をしるす。此城、神亀元年、按察使鎮守府将軍大野朝臣東人之所置也。天平宝字六年、参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣獲修造而十二月朔日と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川落て、跡あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて泪も落るばかり也。

随行日記

一 八日 朝之内小雨ス。巳ノ尅ヨリ晴ル。仙台ヲ立、十符菅・壺碑ヲ見ル。

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説明

8日(新暦24日)朝小雨、昼前より晴 塩釜 治兵衛

 仙台から塩竃街道(金華山道)で、十符菅と壺碑を見て塩竃へ。旧塩釜街道は多賀城跡の裏手を抜けていると紹介している HPがあったのと、そのまま浮島のそばを通って行ったのでは随行日記とは違ってくるので総社宮のほうをまわって行くようにした。

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