須賀川

奥の細道本文

とかくして越行まゝにあぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城相馬三春の庄、常陸下野の地をさかひて山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すが川の駅に等窮といふものを尋て、四五日とゞめらる。先白河の関いかにこえつるやと問。長途のくるしみ身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断てはかばかしう思ひめぐらさず。

 風流の初やおくの田植うた

無下にこえんもさすがにと語れば、脇第三とつゞけて、三巻となしぬ。

此宿の傍に、大なる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやと間に覚られてものに書付侍る。其詞、

 栗といふ文字は西の木と書て西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。

 世の人の見付ぬ花や軒の栗

随行日記

一 廿二日 須か川、乍單斎宿、俳有。

  廿三日 同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡を拝。

一 廿四日 主の田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ會有。會席、そば切。祐碩賞之。

  雷雨、暮方止。

一 廿五日 主物忌、別火。

  廿六日 小雨ス。

一 廿七日 曇。三人物((ママ))ども、芦澤の瀧へ行。

一 廿八日 發足ノ筈定ル。矢内彦三良來而延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行而及暮。十念寺

  ・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。

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説明

22日(新暦9日) 須賀川 相楽等躬

 奥州街道を行く。芭蕉庵ドットコムによれば「かげ沼」は、蜃気楼であるとか特定の沼であるとか、矢吹から須賀川にかけて続いていた湿地のこととか諸説あるようである。

23日(新暦10日) 同

 晩方、僧・可伸を訪ねた。帰りがけに近隣の寺や八幡神社に立ち寄った。八幡神社の場所は小学校になり、その後、須賀川市総合庁舎が建ち、その一角に須賀川芭蕉記念館がある。

24日(新暦11日)雷雨有、夕止 同

 折しも相楽家の田植え日であった。昼過ぎから可伸庵に出向く。

25日(新暦12日) 同

26日(新暦13日)小雨 同

27日(新暦14日)曇 同

 俳席の後、芹沢の滝を見物した。

28日(新暦15日)朝曇 同

 昼過ぎから矢内彦三郎宅に出向いて暮れ時まで過ごし、帰りに十念寺、諏訪神社(神炊館神社)に参詣した。

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