2006年1月8日
新大阪発田辺行きの電車で、海南に着き、線路沿いを歩いて鳥居跡で、熊野古道に合流した。提灯が飾られ、道筋がよく分かる。すぐに祓戸王子の案内があり、左へ入る。
山道を登り出すと、小さな石仏が並んでいた。
竹林を通り過ぎたところに祓戸王子跡があった。
古道に戻り、静かな道を行くと、全国の鈴木さんの発祥の屋敷があり、程なく藤代王子跡のある藤白神社にでる。
馬目王子跡があった。
同じ境内にある有間皇子神社。
すぐ、有間皇子の墓があった。蘇我赤兄のおとり捜査にひっかかって、非業の死をとげたそうだ。
丁石地蔵による道しるべが始まり、急坂となる。舗装路から外れ、立派な竹林の道になる。
筆捨松は小さな松であった。その前に硯石がある。
ようよう坂を上りきったところに宝篋印塔があった。
その先に塔下王子跡の地蔵峰寺があった。近くの御所の芝からは淡路島など景色がよい。しばし見とれる。
しばらくするとミカン畑の中の急坂を下る。下りきって右に橘本王子跡があった。
木でできた橋を渡り、また、峠に向かっての登りとなるが、とりあえずはほぼ平坦である。右手に鳥居があり、その橘本神社に塔下王子跡がある。
小学校を過ぎると、一壺王子跡があった。土俵もある。
沓掛から急坂になる。寒い日なのに汗ばんでくる。 拝ノ峠を過ぎ、緩やかな下りとなる。しばらくで蕪坂塔下王子にでた。
ミカン畑の急坂を降りてゆく。道が緩やかになったところの広場に山口王子跡があった。
宮原の町まで緩やかに下る。 有田川を渡り、国道を横切るが、昼飯のために、国道を上流に少し歩いて次の橋の袂のそばのコンビニで昼飯と発泡酒を仕入れる。 お腹を満たし、戻って歩き始める。糸我稲荷をすぎ、しばらくで糸我王子跡があった。
すぐ、糸我峠への急坂になる。舗装も切れ、汗ばんでくる。上り下りが大変な一日である。 ようやっと、峠を過ぎると、くだりの急坂である。急坂を下りきってすこしで右に入って逆川王子跡があった。そばの川が海のある右手ではなく左手に流れているのでこの名前になったそうである。 小さな峠を越え、湯浅の町に入る。そこそこの大きな町である。ここから先は古道とJRが離れていき、次にJRの駅が近くにある内原までは大夫あるので、早目ではあるがここから帰る。