2005年11月26日
前回とはうって変わった晴天である。
JRで北信太まで行き、前回の続きを歩き始める。
篠田王子がそろそろあるかなと歩いていると、聖神社の鳥居があった。
鳥居のすぐ先に左に入る路地に篠田王子の案内があり、少しはいると王子跡があった。
熊野街道の案内板があり間違っていないねと言いながら広い道をまっすぐ行くと学校があり、路に間違えたのに気づいた。案内板のところから左にはいるのであった。まだ元気があるので案内板まで戻る。
すこし坂を上り、広い道と交差するところに平松王子跡の石碑があった。
自衛隊の駐屯地をすぎ、しばらくで泉井上神社があった。境内にある熊野神社は旧井之口王子神社だそうな。
府道と合流したところにお地蔵さんと井之口王子跡の石碑があった。
柳田橋を越えて右に府道を別れて行くが、毎日牛乳の工場で行けなくなる。手前で府道に戻りしばらく府道歩きとなる。
下松駅を過ぎ、左に入る旧街道らしき路があったが入り損ねた。すぐ先の交差点で合流したので府道歩きは不正解であった。
その先で府道から左にはずれる。ため池の土手歩きとなるが、なんとか突っ切った。
府道に少し合流したりするものの大体は左にはずれて快適なみちである。そうこうするうちに半田一里塚があった。向かいのたこ焼き屋でビールとたこ焼きを食したかったが、注文が混んでいるとのことであきらめる。
しばらくいって道しるべが屋根に刻まれた地蔵があり、小栗街道は右と言うことで府道に出る。府道から別れるところでうどん屋があり昼食となる。うどんとビールで満腹だ。
そこから、石才池のほとりを行き、府道を越え、積善寺城跡をとおり行くが、JRにストップされる。左に迂回し、スーパーで路がなくなっているところを迂回し、府道を渡る。
近木王子、鶴原王子はよくわからず、通り過ぎ、府道を越えて行く。
佐野王子の手前で、まっすぐの地図にない広い道があり、間違えてそっちに少し行ってしまった。
朝とは違って、戻らずにショートカットして古道に戻る。すこし右に入ったところに佐野王子跡があった。
大分歩いて安松八丁畷の石地蔵があった。1363年の年号が刻まれているそうだ。
塙団右衛門の墓があった。大阪夏の陣の戦いで討ち死にしたそうだ。
明治大橋のたもとに樫井古戦場の碑があった。
古道は失われているようで、明治小橋へ迂回し、一岡神社に出る。海会寺の跡だそうである。
ここからあぜ道経由で厩戸王子跡へ出た。
少しで信達宿本陣があった。雰囲気が残る町並みである。
しばらくで信達王子跡にでたが、説明など全くない。
和泉鳥取駅のそばにでると、波太神社遙拝鳥居があり、その下に長岡王子跡との案内板があった。
そばのたこ焼き屋でたこ焼きを仕入れ、待ち時間に手持ちの酒のつまみとし、JRの客となる。酒が足りず、乗換駅でビールを追加した。