2007年1月14日
竹内街道を歩いたときに、西高野街道との分かれ道のところにあった女人高野へ13里の里石を見て、西高野街道も歩いてみたくなって、南海高野線の堺東駅から歩き始めます。
例の歩行者のドアが付いている通せんぼのところに出ました。
竹内街道との分かれ道に着きました。そばに13里の里石があります。
南海高野線を越え、中央環状を歩道橋で渡り、国道310号線を仁徳天皇陵に沿って進みます。
西高野街道の真新しい道標がありました。堺市内にはこの道標がたくさんあります。
一部失われたところがあるので、コーナンをこえたあたりから国道と別れ左に入り、街道筋に出ます。
梅北の交差点で国道のそばに出ますが、国道には出ずに左に曲がります。雰囲気の残る道筋です。
中百舌鳥駅のそばを通ってしばらく行くと大阪府大のところで国道に合流し、正門のところから国道と別れます。
グラウンドがあり西高野街道の案内がありました。
新家町の道筋です。
すぐ先に十二里の里石が地蔵堂のそばにありました。
関茶屋に入り、野ざらしのお地蔵さんが立っていました。
惟妙寺がありました。この先近畿自動車道を越えます。
中茶屋を過ぎると分かれ道に地蔵堂と道標がありました。左に行くと滝谷金剛山だそうで、右に進みます。
少し先に興源寺がありました。
国道と交差し、大分歩いて山本南に来ると大平大明神がありました。
岩室に入ると十一里の里石が車庫の前にぽつんとありました。
広い道を歩道橋で越え、坂を上ると岩室郵便局跡、家塾跡の碑がありました。
すぐ先が天野街道との分かれ道です。
この先左に進み、少し行くと道が広くなりおわり坂を下ります。
下りきったところで橋を渡り、また細い道を登ると三津屋地蔵がります。
この先、帝塚山学院大学に沿って細い道を行き、広い道に出たところで、歴史の道調査報告書では左に行って、次の角を右に行くようになっているが、あるHPの地図では住宅街の中野細い道を行くことになっているので、こちらを行ってみたが細すぎる道で調査報告書の方が正しいように思えた。
少し行くと常夜灯と石碑がありました。聖徳太子とか観世音とか彫ってあるようだがよく読めない。
しばらく行くと、雲から太陽の光に筋が降りていてきれいだったが写真じゃあまりよくわからない。
十里の里石が有りました。
川を渡って少し行くと常夜灯があり、道標がありました。
楠町に入り松林寺があります。
見覚えのある中高野街道との合流地点に出ました。
すぐ先も分かれ道で、西国八十八カ所の道標があります。
中高野街道で歩いた道を行きますが、国道を越えるところで前に行った病院の裏手ではなく、まっすぐに病院の前から左に入る道を進みます。
行者堂のところに九里の里石がありました。
この先すぐに前歩いた道と合流して河内長野の駅に出ます。天野酒を買って帰りました。