2005年12月10日
熊野古道の案内に高野山の町石道の案内があったので歩いてみることにして、JR、南海と乗り継いで九度山で降りて歩き始めました。
橋を渡ってしばらく行くと真田庵に出ました。戦国時代最後の武将、真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡だそうです。
まだ平坦な道を少し歩くと慈尊院に着きました。弘法大師の母公が眠る寺であり、女性の高野山詣りは慈尊院までとの戒律から、女人高野と称されているそうです。
乳房型の絵馬で有吉佐和子の小説「紀ノ川」に登場したことをおもいだしました。
階段の途中で右へ行きますが、最初の町石(ちょういし)がありました。
緩やかな上り坂が続きます。竹林を抜けていきます。
見晴らしの良いところに出ます。紀ノ川の眺めが絶好です。
柿畑の中を登っていきます。
山道になり、杉林の中を歩いていきます。六本杉峠にでました。丹生都比売神社への別れ道ですが、そちらには行かずに町石道を行きました。
気持ちの良い雑木林の散策道です。
二つ鳥居です。弘法大師によって当初は木造で建立されたものと伝えられ、現在の鳥居は慶安2年、高野山補陀洛院の叟遍が建立したものだそうです。
ゴルフ場のそばを通って大分行くと、舗装道路に出て、弘法大師の手づくりと伝えられている「矢立砂捏地蔵」に着きました。
やきもちを売っている矢立茶屋をすぎると、六地蔵がありました。
「袈裟掛石」をすぎ、「押上石」があります。大師のお母さんが結界を乗り越え入山しようとし、雷雨が火の雨となったとき、大師は大岩を持ち上げてお母さんをかくまったとそうだ。
道のそばに雪が残っている。
最後の急斜面を登って大門に着きました。
壇上伽藍に向かうと1番の町石がありました。
壇上伽藍の金堂です。
雪景色もよいものです。手前から愛染堂、大会堂、東塔だそうである。
愛染堂。
金剛峰寺の前をすぎ、しばらく行くと一の橋に出た。
歴史上の人物の墓がある中を歩いていく。
弘法大師の御廟のみえる御廟橋である。この先は撮影禁止である。御廟を詣ってバス、ケーブルカー、電車を乗り着いて帰った。