厚狭から下関

2006年11月12日 


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 一晩寝ると、足のまめの痛みもなくなり、また5時過ぎに歩き始める。
 厚狭市に入ると左手に鳥居がありました。


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 祐念寺と厚狭市の街道の様子であるが、暗くてよく分からないかもしれない。


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 川を渡って左に行き、JRの手前で右に行くのが街道であるが線路で行けず、右に行かずに真っ直ぐ行って迂回しなければならない。
 しばらく歩いて小さな峠を越えると庚申ではなく幸神と彫られた石がありました。


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 林の中の道を過ぎ、JRにそってしばらく行くと福田天満宮があります。
 少し先の福田追分けから吉田道に入ります。峠を越えますが、奥の田圃が休耕田となっており、道もぬかるんで歩きにくい部分があります。


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 峠を下りて、吉田市に入ります。曲がり角に恵比須社がありました。


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 吉田市の出口にはお地蔵さんがあります。


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 木屋川に沿ってしばしの国道歩きとなり、ここから右に分かれます。


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 また、国道と合いますが、少し先で右に分かれて小月市に向かいます。小月神社がありました。
 痛みが軽くなっていた足の裏も、そろそろまた痛み始めました。


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 大きな庚申塔がありました。こんな大きいのは初めてです。


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 小月市の中心部でしょうか。本町通りです。このさき右に曲がり見廻り通りとなります。


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 しばらく行くと孝女お政の碑がありました。


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 少し先には清末八幡宮があります。


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 神田川を渡りしばらく行くと稲荷社がありました。


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 国道を越え、JRとの間を歩きます。
 一里塚跡と地蔵堂がありました。


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 しばらく歩くと長府駅にでました。パン屋があったので、デニッシュと牛乳で昼飯です。
 少し先に、もとの三ノ宮の敷地とかに八幡御旅所の碑がありました。


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 また少し行くと、田上菊舎邸跡の碑がありました。加賀の千代女と並び称される江戸時代の女流俳人だそうである。


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 少し先の金屋に入ると大乗寺がありました。


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 乃木通りという商店街になり、乃木神社がありました。


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 長府の中心地か観光客が増えてきました。右に曲がり少し行くと毛利屋敷がありました。
 この先には功山寺があり、どちらも観光客がたくさん見学に訪れています。


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 野久留米道と呼ばれる道を登っていきますと、庚申塚がありました。


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 峠を越え、下ってくると、向かいに九州が見えてきました。


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 関門海峡は流れも速そうで船も多く通っています。


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 前田で坂を登りますが、右よりの住宅の中を通ってしまったために、すこし遠回りになりました。
 坂を登って、関門橋がよく見えるようになります。


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 海岸に降りると、大砲が並んでいました。当時のものだそうです。


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 少し行くと赤間神社がありました。安徳天皇がまつられているそうです。


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 歴史の道調査報告書の地図にしたがって、亀山神社にはよらずに、赤間町をとおり、市役所のそばを通っていきます。右手の崖上に道がありそうなので、そちらが街道かと上がってみましたが、それらしい道はなく専念寺がありました。


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 すぐ先が永福寺です。歴史の道調査報告書の最終地点で、ここをゴールとしました。無事到着です。あとは、下関駅までバスで行き、新幹線で飲み食いしながら帰りました。
 単身赴任中に何とか西国街道を完歩です。次の大きな目標は奥の細道となりますが、いつのことになるでしょうか。


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