2006.2.25
広島から先は遠いので、近くを歩いてみようと云うことになり、西国街道の関連で、西宮から大阪までの中国街道を歩いてみることになりました。
道筋を調べようとしたら、尼崎と大阪はすぐ書いたものが見つかったのですが、西宮は道筋をはっきり記載したものがみあたらないので、http://www.nishi.or.jp/homepage/chiiki/miyakko/で見つけた宮っ子11号30ページの記事や、明治前期関西地誌図集成の西宮付近の地図を参考にしました。
尼崎市内は尼崎市がホームページの(【HOME】−各課のしごと−企画財政局−都市政策課−歴史文化ゾーン−中国街道をいかしたまちづくり)に詳細な地図をアップしてくれているのを参考にしました。
大阪市内は「大阪市の旧街道と坂道」の本を参考にしました。
阪神で西宮まで行き、川に沿って与古道町まで下り、中国街道の始まりです。しばらく行き、津門川を渡ります。
今津駅を過ぎ、名神を越えて行きますが、道には旧国道の道標があります。六石町を過ぎたあたりが、枝川を渡る六石の渡しがあったところです。
広くなった道を進むと、右手に岡太神社がありました。おかしの宮というそうであるが、お菓子宮ではなく岡司宮であるそうだ。子供の入試の合格祈願をして後にしました。
武庫川を渡ると、左の細道に入る。雉ガ坂と云い、本能寺の変の後、秀吉が京に戻るときの逸話があるそうです。
しばらく行き、小学校の向かいに中国街道の案内がありました。昔は松並木があったようである。
すこしで左手に琴浦神社がありました。嵯峨天皇の皇子の源融公を祭っているそうである。
小腹を満たすためにコンビニで肉まん付き発泡酒を仕入れ行くと、道は南に転じ、阪神を越え、43号線に出た。貴布禰神社がありました。雨乞いの神様のようで、お参りせずに通り過ぎました。
尼崎城跡の手前で右に折れ、築地に入ります。大きな石碑がありました。
お堀沿いを行くと大黒橋跡がありました。ここから、大物を過ぎ、北上し、神崎川を渡ります。
神崎川を渡り、少し北に行き細い道に入ると、昔の街道の面影が残っていた。
香具波志神社があり、ここでも合格祈願をする。
しばらくで、十三を越え、十三大橋を渡る。
中津を越え、茶屋町に入ると茶屋の石碑があった。
梅田を過ぎ、細い道を曲がったりして行くと、綱敷天神があった。
勤務先のそばを通って、中之島を越え、無事に目的地の高麗橋に着きました。
この日はまだ早いので、つづきで京街道を歩きました。京街道は東海道の番外編として紹介します。