開始日時 | 2015/07/17 06:12:54 | 終了日時 | 2015/07/17 09:33:44 |
水平距離 | 15.06km | 沿面距離 | 15.13km |
経過時間 | 3時間20分50秒 | 移動時間 | 3時間18分34秒 |
全体平均速度 | 4.52km/h | 移動平均速度 | 4.56km/h |
最高速度 | 6.92km/h | 昇降量合計 | 176m |
総上昇量 | 27m | 総下降量 | 149m |
最高高度 | 138m | 最低高度 | 1m |
2015/07/17 06:20:58
台風の影響でどんよりした低い雲の下、関が原の町並みを歩いていきます。
2015/07/17 06:36:12
左に分かれて静かな松並木を歩いていきます。
2015/07/17 06:39:45
右手に六部地蔵がありました。六十六部という全国の寺社を巡礼して修行している行者ここでなくなったのを里人が祠を建ててお祀りしたそうで、痛みのひどい病気をなおしてくれるそうです。
2015/07/17 06:40:30
松並木が続きます。
2015/07/17 07:07:23
国道を渡っていくと、垂井一里塚がありました。南側だけが残っているようです。
2015/07/17 07:21:52
垂井宿に入ってきました。西の見付の説明と、広重の絵がこの付近から西をみたものと説明されています・
2015/07/17 07:22:47
こんな町並みを歩いていきます。
2015/07/17 07:26:50
右手に大きな鳥居がありました。徳川家光が寄進したものだそうで、1642年に造られた古いもののようです。南宮の参道だそうです。
2015/07/17 07:35:02
相川を渡っていくと中山道と美濃路の追分に出ました。ここで中山道と別れ、美濃路を大垣に向かいます。
2015/07/17 07:41:10
ここからも少しだけ街道松が残っています。
2015/07/17 08:26:46
旧道をたどっていると、道標がありました。雨宮社近道とある小さいのと、→垂井京都、←大垣岐阜 道とある大きいのがあります。
2015/07/17 08:56:53
こちらにも一里塚が残っていました。榎も残っています。
2015/07/17 09:06:02
杭瀬川を渡るところに常夜灯がありました。明治のものだそうです。
2015/07/17 09:19:31
右手に正覚寺があり、芭蕉・木因遺跡がありました。芭蕉翁と刻まれた追悼碑は、芭蕉没後百日目の追善法要として建立されたものだそうです。
2015/07/17 09:28:59
少し行くと、奥の細道むすびの地につきました。2100キロほど歩いたゴールです。
2015/07/17 09:30:09
そばには石のむすびの地の碑や、大垣船町川湊の碑があります。
2015/07/17 09:30:18
芭蕉と、見送る木因の像もそばにありました。
2015/07/17 09:30:33
芭蕉の句碑もあります。蛤塚と呼ばれ、「蛤のふたみに別行秋そ」とあるようです。
2015/07/17 09:31:28
水門川には舟が浮かんでいます。芭蕉もここから舟で下ったのでしょう。
2015/07/17 09:32:10
対岸には住吉燈台がありました。
この後、奥の細道むすびの地記念館に寄って3D映像を鑑賞した後、雨なのでバスで大垣駅まで行き、達成感に浸りながらかえりました。