開始日時 | 2015/07/16 07:28:26 | 終了日時 | 2015/07/16 14:35:32 |
水平距離 | 31.27km | 沿面距離 | 31.36km |
経過時間 | 7時間07分06秒 | 移動時間 | 6時間59分27秒 |
全体平均速度 | 4.41km/h | 移動平均速度 | 4.47km/h |
最高速度 | 5.74km/h | 昇降量合計 | 587m |
総上昇量 | 296m | 総下降量 | 291m |
最高高度 | 298m | 最低高度 | 98m |
2015/07/16 07:48:08
台風が四国のほうに来ているとかで、雨がときどき降ったりする天気の中、歩き始めました。高月町馬上の集落に入ると走落神社がありました。大きなケヤキの木があり、ケヤキの古名が槻で、ケヤキの巨木があることから高槻と名づけられたが、月見の名所と和歌に詠まれたことから高月となたと説明されています。
2015/07/16 08:28:05
小谷郡上の集落の曲がり角に高札場跡の碑がありました。
2015/07/16 08:31:21
郡上宿の板書のそばに大谷市場跡の石碑が立っています。浅井三代小谷城時代に武家屋敷から巷間の台所までまかなっていたそうです。
2015/07/16 08:33:31
正面の山の上に小谷城があり、手前の谷間に武家屋敷があったらしいです。戦国時代に思いをはせながら通り過ぎます。
2015/07/16 08:48:33
伊部の集落にかかると、小谷城趾登山本道の碑と大きな説明板がありました。
2015/07/16 08:52:48
右手に本陣跡のおおきな説明板がありました。上りの伊部宿、下りの郡上宿の二つで一つの役目を果たしていたことなどが説明されています。
この少し先で左に街道はいっていたのですが、失われていて迂回して進みます。
2015/07/16 09:24:19
実宰院の案内板と北国脇往還の道標があり、ここを右に曲がりましたが、実宰院に行くと、脇往還から外れていくようです。少し先で左に曲がり脇往還に戻りましたが、まっすぐ行くのが正解だったようです。
2015/07/16 09:31:44
八島には道標が多く残っています。左江戸道とあります。ここを左に曲がります。
2015/07/16 09:33:05
八幡神社がありました。ここで右に曲がります。
2015/07/16 09:34:23
こちらには東関が原ミち、西虎姫驛一里、南内保約四丁木之本約二里、北八島とあるようです。
2015/07/16 09:34:29
角の反対側にも道標があり、左江戸道、右越前道とあるようで、左に曲がっていきます。
2015/07/16 09:37:54
こちらには、東関が原約五里、西木之本みち、南内保約五町、北田根みち八島とあるようです。まっすぐ東に向かいます。
2015/07/16 10:02:04
国道に出て草野川を手前に北国脇往還とふくらの森の説明板がありました。八島のあたりからこのあたりまではふくらの森と呼ばれ、昼なお暗く、旅人たちに恐れられていたそうです。
2015/07/16 10:23:27
左に曲がるところに道標がありました。左江戸谷汲、右北國道とあるようで、左に行きます。
2015/07/16 10:37:04
佐野の手前で右に曲がるところにお地蔵さんなどが並んでいました。
2015/07/16 10:41:21
右手に轟神社がありました。社殿が左右に並んでいるようです。
2015/07/16 11:06:08
今荘ぶどう園をすぎると林道になります。
2015/07/16 11:37:28
広い道に出て、右に旧道が残っているらしいのですがは入口が分からず少し先で右に入って姉川の畔まで下ってきます。
姉川にくると昔あった橋がありません。少し下流の橋まで迂回します。
2015/07/16 11:49:17
道標がありました。右北国、左長浜 道とあるようです。
2015/07/16 11:50:53
左手に八幡神社がありました。苔むした感じのよい社殿です。
2015/07/16 12:04:12
春照に着きました。スイジョウと読むそうで、昔は水上といっていたそうです。
2015/07/16 12:08:02
春照のはずれには常夜灯がありました。ここから右に行きます。
2015/07/16 12:22:50
坂を登っていくと野頭観音堂跡の碑と、芭蕉の句碑とお地蔵さんがありました。ここで右に曲がっていきますが、弥高川を渡った交差点の先に、旧道が続いているのですが、草が生い茂っていて、歩行困難です。途中まで行って見ましたが、膝を越える雑草になり、あきらめて左に脱出しました。
先にも右に入る旧道があったのですが、見落とし通り過ぎてしまいました。
2015/07/16 13:04:41
県道から右に曲がって寺林に行く旧道が地図にはあるのですが、それらしい道に入ってみると、ここも雑草が生い茂っています。こちらもあきらめて迂回し、寺林に着いたところにお地蔵さんや行基の歌碑が並んでいました。
帰って調べてみるとグーグルマップの地図が誤っているようで、旧道への入口は40mほど手前で右に入る道のところだったようです。
2015/07/16 13:05:05
すぐ先には八阪神社があります。
2015/07/16 13:22:15
藤川の集落を抜けるところに立派な家がありました。藤川で本陣・問屋を兼ねていたお宅だそうです。
2015/07/16 13:27:12
国道に出て、藤川の交差点の手前から川の左に旧道があるようにグーグルマップにあるのですが、上から見ると雑草に覆われてそれらしい道は見えないし、川沿いまで降りるには、フェンスを越えて斜面を無理やり下らなくてはならず、こちらも迂回することにしました。
2015/07/16 13:41:35
国道へ迂回して少し戻ると夫婦岩がありました。美濃と近江の国の国境のシンボルだったそうですが、現在はこの女岩しか残っていないそうです。そばには子安地蔵もあります。
2015/07/16 13:48:00
玉の集落には立派な常夜灯があります。
2015/07/16 14:21:46
関が原に下りてきました。左手に家康の最後の陣地跡が広がっています。
2015/07/16 14:26:09
少し下ると東首塚がありました。西軍の皆様の冥福を祈りながら通り過ぎます。
2015/07/16 14:31:50
中仙道と合流し、すぐに脇本陣後がありました。
このあと駅から大垣に行きビジネスホテル泊です。