汐越の松を見た後、浜坂のはずれから福良池まで抜ける旧道は、廃道となっていて踏破困難でした。
開始日時 | 2015/07/11 09:13:57 | 終了日時 | 2015/07/11 18:26:17 |
水平距離 | 42.21km | 沿面距離 | 42.47km |
経過時間 | 9時間12分20秒 | 移動時間 | 8時間38分19秒 |
全体平均速度 | 4.61km/h | 移動平均速度 | 4.88km/h |
最高速度 | 9.25km/h | 昇降量合計 | 797m |
総上昇量 | 399m | 総下降量 | 398m |
最高高度 | 61m | 最低高度 | -2m |
2015/07/11 09:20:35
飛行機で小松空港に飛び、小松駅から歩き始めます。天気もよく、奥多摩、南アルプス、中央アルプス、乗鞍、御嶽山、白山の景色が堪能できました。
2015/07/11 11:15:45
動橋までは前回と同じ道を歩きます。七曲のところで、前回歩かなかった旧道があり、草が茂っていましたが、なんとか歩けました。
2015/07/11 11:33:28
動橋を過ぎ、JRを越えるところに地下道がありました。歩道もない高架を越えなくて助かります。
2015/07/11 11:41:54
少しいくと左に都もどり地蔵と一里塚跡がありました。鎌倉時代初期の歌人西行とその弟子西住が、別れを惜しんだところに地蔵が建てられたそうです。
2015/07/11 12:34:49
だいぶ歩いていると一里塚跡の碑がありました。敷地一里塚との説明板があります。
2015/07/11 12:46:20
左に曲がるところに菅生石部神社がありました。立派な社です。
2015/07/11 12:47:22
すぐ大聖寺川をわたって大聖寺の町に入ります。
2015/07/11 13:03:54
町のなかを右左に曲がっていきますが、雰囲気のある町家が残っています。
2015/07/11 13:08:49
左に曲がるところに時鐘堂がありました。高札場がここにあったそうです。
2015/07/11 13:17:03
芭蕉が泊まった全昌寺に着きました。まだ、時間が早いので、もう少し歩いていきます。
2015/07/11 13:27:58
分かれ道のところに大聖寺藩関所跡の碑がありました。まっすぐ吉崎に向かおうかと思っていたのですが、随行日記では、橘のさきから吉崎に向かったようで、芭蕉も曾良の後を辿ったと思い、左に行くことにしました。
2015/07/11 13:35:02
旧道に入り、急坂を登ると大坂一里塚跡がありました。
2015/07/11 14:09:08
橘に入るところに北国街道の標柱がありました。向こうの集落を通っていきます。
2015/07/11 14:18:05
橘の先で、吉崎に向かう蓮如道と北国街道と分かれます。
2015/07/11 14:45:56
吉崎には、吉崎御坊を建立された蓮如上人の記念館がありました。
2015/07/11 15:15:47
粟原ゴルフ場のクラブハウスによって、汐越しの松跡を見せていただきました。カートに乗せていただいて案内していただき、恐縮です。松の枯れ木がまだ横たわっていました。
2015/07/11 15:30:14
随行日記では、浜坂のはずれ迄帰って、北潟浦に向かったようで、ちょうどグーグルマップに、それらしい細道があるのでいくことにしました。
2015/07/11 15:39:41
途中から、笹などが生い茂り、廃道となっています。GPSを頼りに藪を漕いでなんとか通過しましたが、草木の棘で傷だらけになってしまいました。クラブハウスから真っ直ぐ北浦に向かうのが正解です。
2015/07/11 16:36:31
無事に道なき道を通り過ぎ、北潟に沿って
2015/07/11 17:14:49
橋を渡って、北国街道に合流し、坂口の集落を抜けると地蔵堂が2つありました。
2015/07/11 17:28:22
少しいくと右に八幡神社があり嫁おどし谷の説明板がありました。
2015/07/11 17:54:55
立派な榎が残っている一里塚がありました。東側のは道路拡張のため取り壊されたそうです。
2015/07/11 18:06:12
坂を下ると坂ノ下八幡宮がありました。坂ノ下宿場口跡の説明板もあり、金津宿の説明が書かれています。
2015/07/11 18:12:30
金津の町を歩いて、芦原温泉駅に向かいました。大聖寺のビジネスホテル泊です。