開始日時 | 2015/06/06 07:16:26 | 終了日時 | 2015/06/06 12:57:46 |
水平距離 | 24.40km | 沿面距離 | 24.59km |
経過時間 | 5時間41分20秒 | 移動時間 | 5時間35分30秒 |
全体平均速度 | 4.32km/h | 移動平均速度 | 4.38km/h |
最高速度 | 5.82km/h | 昇降量合計 | 438m |
総上昇量 | 253m | 総下降量 | 185m |
最高高度 | 110m | 最低高度 | -4m |
2015/06/06 07:22:43
歩き始めると、日吉神社のすぐ先の左手に本折地蔵堂がありました。芭蕉翁宿泊の地(龍昌寺跡)とあります。建聖寺が随行日記の立松寺と思っていたので、帰ってから調べると、ここにあった龍昌寺が立松寺だったようです。
http://www10.ocn.ne.jp/~tengaiya/okunohosomiti.html
2015/06/06 07:25:58
また多太神社のところを通りますが、覗くと昨日宝物館が開いていなくて見れなかった兜の石造がありました。
2015/06/06 07:34:46
右手に白山神社がありました。悪魔祓い神事(小松市指定文化財)が奉納されているそうです。
2015/06/06 07:37:41
すぐ先に須天熊野神社がみぎてにあります。いぼいけで有名のようで、池の水をいぼにつけるとなおったそうです。
2015/06/06 08:07:51
しばらく歩くと一里塚跡の碑がありました。
2015/06/06 08:09:16
すぐ先に旧家があり、三階の松跡、馬つなぎの松跡とある碑が立っています。このあたりは串茶屋といって、遊郭があったそうです。小松市のHPにあった資料では、大きな松の木の写った写真とともに、三階松と馬繋ぎ金輪のあった中屋楼の前面との説明があります。枝振りが家紋の三階松のようだといって三階の松と名づけられたのでしょうか。
2015/06/06 08:52:17
しばらく歩くと左手に月津一里塚跡がありました。
2015/06/06 09:27:52
このあたりの街道は、戦国時代に敵を見張るため曲折した道路となっていたそうです。今はまっすぐに道が付けられていますが、残っている旧道を行きます。
2015/06/06 09:41:08
動橋の町を行きます。右手は大日盛を作っていた造り酒屋だったようですが、もうやっていないようです。
突き当りを右折して少しで街道とは別れ、山中温泉に向かいます。芭蕉がどこを歩いて山中温泉に向かったか不明ですが、勘を働かせながら歩く道を決めていきます。
2015/06/06 10:56:05
だいぶ歩いて山代温泉に着きました。共同浴場の総湯です。
2015/06/06 10:58:32
すぐ先に魯山人寓居跡があります。旅館の看板を彫ったりしていたそうです。
2015/06/06 12:00:00
山中温泉に着いて、芭蕉が尋ねたところを巡ります。まず黒谷橋を訪れました。
2015/06/06 12:00:34
黒谷橋からの鶴仙渓です。芭蕉も見た景色でしょうか。
2015/06/06 12:01:51
遊歩道があり、すぐに芭蕉堂があります。1910年に芭蕉をしたう全国の俳人たちによって芭蕉堂が建てられ、芭蕉像が安置されたそうです。
2015/06/06 12:07:37
鶴仙渓に沿って遊歩道が整備されています。
2015/06/06 12:16:28
川床も設けられています。
2015/06/06 12:18:41
芭蕉は7月29日、30日の両日この地を訪れているようです。
2015/06/06 12:24:34
芭蕉が逗留した泉屋に隣接していた「扇屋」の別荘であった建物だそうです。前に芭蕉と曾良の像があります。
2015/06/06 12:51:18
芭蕉が泊まった泉屋の跡です。
2015/06/06 12:26:00
そばに共同浴場の菊の湯があります。建物は新しくなっていますが、1300年前からここにあるそうです。
2015/06/06 12:37:05
随行日記に薬師堂とあるのは、ここだそうです。芭蕉が忘れていったと伝えられる芭蕉の忘れ杖があるそうです。