開始日時 | 2015/06/03 09:10:27 | 終了日時 | 2015/06/03 17:23:07 |
水平距離 | 38.62km | 沿面距離 | 38.89km |
経過時間 | 8時間12分40秒 | 移動時間 | 8時間12分15秒 |
全体平均速度 | 4.74km/h | 移動平均速度 | 4.74km/h |
最高速度 | 9.40km/h | 昇降量合計 | 1028m |
総上昇量 | 517m | 総下降量 | 511m |
最高高度 | 258m | 最低高度 | -31m |
2015/06/03 09:55:04
北陸新幹線で富山まで来て、乗り継いで福岡から歩き始めました。小雨が降ったりやんだりの天気です。
しばらく歩くと勅使桜がありました。戊辰戦争のとき官軍が休んだところだそうです。
2015/06/03 10:06:41
少しいくと芹川一里塚の碑が立っていました。
2015/06/03 10:32:14
小矢部川を渡ると雰囲気の残る町並みが少し続いています。
2015/06/03 11:02:26
立派なお寺などがある石動の中心を抜けてJRを地下道で越えると砂川橋一里塚跡の碑がありました。
2015/06/03 11:16:31
少しいくと埴生八幡宮に着きました。階段が103段もありましたが、がんばって上ってお参りしていきます。
2015/06/03 11:22:42
少しいくと右手に医王院がありました。この少し先から倶梨伽羅峠の登りになります。
2015/06/03 11:47:03
途中から細い道になり登っていくとたるみの茶屋跡がありました。
2015/06/03 11:57:53
少し登っていくと峠茶屋跡に出ました。昭和の初めごろまでは茶屋があったそうです。
2015/06/03 12:01:24
少しいくと矢立観音がありました。平家軍の放った矢が多く立ったから矢立というそうです。
2015/06/03 12:03:57
一里塚といわれるところと碑にあります。
2015/06/03 12:17:57
猿ケ馬場といわれる平家の本陣が陣取ったところに出ました。芭蕉の句碑がありました。道の反対側にも芭蕉の句碑があります。
2015/06/03 12:18:40
そばには火牛の像もあります。
2015/06/03 12:23:30
峠を越えていくと倶利伽羅不動寺がありました。
2015/06/03 12:43:30
しばらく下っていくと龍ケ峰城跡の上り口が右手にありました。
2015/06/03 13:54:31
下り終えて、運動公園の中を通ってしばらくいくと、右手に地蔵堂があります。一里塚の跡らしいです。
2015/06/03 14:06:24
七尾線を越え、津幡の町に入ってきました。
2015/06/03 14:09:16
橋の手前に脇本陣角屋跡の碑がありました。橋の欄干には大名行列の見通しの像があります。
2015/06/03 15:25:42
だいぶ歩くと松並木が少しだけ残っていました。松並木の旧金沢下口街道との碑が立っています。
2015/06/03 16:28:07
大樋町の旧道を歩いていると造り酒屋がありました。加賀鶴を造っているところのようです。
2015/06/03 16:49:34
浅野川がみえるところに来ました。芭蕉らは浅野川のほとりの京屋吉兵衛のところに泊まったそうですがこのあたりでしょうか。
2015/06/03 16:51:19
街道を少し外れてひがし茶屋街を見物です。
2015/06/03 16:57:03
川を渡って少し右に入ると立花北枝宅跡がありました。「あかあかと日は難面もあきの風」の句を読んだ句会が開かれた源意庵はここだったらしいです。
2015/06/03 17:00:43
町には、雰囲気が残る家がそこここにあります。駅のそばまで行って、ビジネスホテルに泊まりました。