開始日時 | 2015/05/05 05:20:38 | 終了日時 | 2015/05/05 16:10:40 |
水平距離 | 48.51km | 沿面距離 | 48.71km |
経過時間 | 10時間50分02秒 | 移動時間 | 10時間25分28秒 |
全体平均速度 | 4.50km/h | 移動平均速度 | 4.66km/h |
最高速度 | 13.82km/h | 昇降量合計 | 527m |
総上昇量 | 266m | 総下降量 | 261m |
最高高度 | 48m | 最低高度 | -15m |
2015/05/05 05:37:07
5時過ぎには出発して早朝の滑川を行きます。
2015/05/05 05:38:54
1625年に桐沢家2代九郎兵衛が命ぜられ本陣を200年余り勤めたそうです。
2015/05/05 05:43:24
こちらにも本陣跡がありました。1839年から桐沢家の後に本陣になったようで、明治になって宮崎家が買い取ったそうです。
2015/05/05 05:44:14
こちらのお寺も、桐沢家が焼失していた間とか、幕末のころは小泉家と交互に本陣を勤めていたそうです。
2015/05/05 05:46:43
少しいくと大岩道しるべがありました。立山のほうにある大岩山日石寺への道しるべのようです。
2015/05/05 06:15:59
だいぶ歩くと右手に一里塚跡がありました。塚の上にお堂が建てられています。
2015/05/05 06:28:15
左手に水橋神社がありました。拝殿には奉納の絵馬が多いと説明板にあります。芭蕉の句碑もあるとのことです。
2015/05/05 06:44:56
少し行って常願寺川を渡ります。
2015/05/05 06:54:17
大きな松が右手にありました。親鸞聖人腰掛の松との説明板があります。樹齢は500~600年だそうで、芭蕉は見たでしょうが、親鸞聖人のときはなかったと思われます。
2015/05/05 07:40:50
右手に精霊塚がありました。戦国時代に大村城が落ちたときに戦死者を葬ったと伝えられているそうです。
2015/05/05 07:59:58
左手に富山ライトレール富山港線の岩瀬浜駅があり、ちょうど電車が留まっていました。
2015/05/05 08:11:09
岩瀬にかかると雰囲気の残る家が並んでいます。
2015/05/05 08:14:34
ひときわ立派な家は北前船回船問屋森家です。この建物は明治11年に再建されたものだそうです。
2015/05/05 08:16:31
左手に造り酒屋がありました。「満寿泉」を造っているそうです。
2015/05/05 08:37:18
神通川を渡ります。川上に富山の町が見えますが、芭蕉は寄らずに海岸に沿って氷見の田子浦を目指したとのことです。
2015/05/05 09:11:24
海岸のそばまで来ると諏訪社があり、おおきなけやきがあります。
2015/05/05 09:36:18
しばらくいくと右手に花塚がありました。打出の船着場付近の宿の誰もが慕った遊女が26歳の若さで亡くなったのを皆で弔ったそうです。
2015/05/05 10:46:42
だいぶ歩いて堀岡古明神の交差点の手前で右手に旧街道らしい道が分かれ、そちらを行きましたが、真っ直ぐ行く県道232号線のほうが街道筋だったかもしれません。あるいたほうにも神明社があり、それらしくはあります。
2015/05/05 11:12:36
すこしで越ノ潟フェリー乗り場につきました。前は歩いて行けたが、富山新港を造ったためにできた渡船だそうですが、新湊大橋が2012年にできて、そちらを歩いて渡れるそうですが、まだ、運行しているようです。芭蕉が歩いたところのより近くを行くことになるので、橋ではなくフェリーに乗ることにしました。
2015/05/05 11:17:04
フェリーからは新湊大橋がよくみえます。
2015/05/05 11:33:41
右手に庚申塚や石仏などが並んでいました。
2015/05/05 11:44:49
右手に放生津八幡宮がでてきました。境内には芭蕉の句碑もあります。
2015/05/05 11:57:02
街道筋から海岸線にでて奈呉の浦をみにいきました。天気もよく能登半島のほうも望めます。
2015/05/05 12:11:27
右手に曳山がありました。秋の放生津曳山祭に巡行するそうですが、ゴールデンウィークで見れるようにしているのでしょうか。全部で13基あるとのことです。
2015/05/05 12:12:41
案内があり、右に少し入ると漁民義人塚がありました。江戸中期、悪徳商人のことを加賀藩の公事奉行に直訴した東西放生津の漁師総代 佐賀野屋久右衛門と四歩市屋四郎兵衛を祀っているそうです。
2015/05/05 12:18:45
庄川の河畔にでると二上山がきれいに見えました。芭蕉がたずねた歌枕のひとつです。
江戸時代は庄川は小矢部川と上流で合流し、小矢部川のところを流れていて、このあたりから伏木に向かう道と分かれて、高岡に向かう道があったらしいので、そちらに行ってみることにしました。
2015/05/05 12:45:19
庄川を渡って、それらしい道に入ると、雰囲気の残る家並みが残っていました。
2015/05/05 14:04:41
だいぶ歩いて高岡の町並みに来ると、土蔵造りの家が多く残っています。重要文化財になっている菅野家の住宅がありました。
2015/05/05 14:10:25
街道が右に曲がるところに本陣跡がありました。ここにあった天野屋が本陣になったのは1715年だそうで、芭蕉が来たころは、お城の近くだったそうです。
2015/05/05 14:20:04
左に曲がるところに有磯神社がありました。氷見のほうの雨晴岩崎の沖合い「渋谷の浜」に御鎮座されていた有磯宮が川原町地内に御鎮座の横田正八幡宮に合殿されたものだそうです。
2015/05/05 15:07:12
北アルプスが良く見えます。剣から立山あたりでしょうか。
2015/05/05 16:04:22
だいぶ歩いて、雰囲気の残る福岡の町並みです。このさきからJRの駅に出て帰りました。