開始日時 | 2015/05/03 07:56:06 | 終了日時 | 2015/05/03 17:22:22 |
水平距離 | 45.66km | 沿面距離 | 46.13km |
経過時間 | 9時間26分16秒 | 移動時間 | 9時間11分17秒 |
全体平均速度 | 4.89km/h | 移動平均速度 | 5.01km/h |
最高速度 | 26.71km/h | 昇降量合計 | 1261m |
総上昇量 | 648m | 総下降量 | 613m |
最高高度 | 98m | 最低高度 | -217m |
2015/05/03 08:33:17
電車で浦本駅に戻り歩き始めました。少し歩いて早川を渡ります。芭蕉はここで躓いて衣を濡らしたとのことです。
2015/05/03 09:17:12
押上の交差点の手前に五輪塔が並んでいました。このあたりに一里塚があったとのことです。
2015/05/03 09:43:31
右手に加賀の井酒造があり、本陣跡との説明板があります。新潟県最古の酒蔵の加賀の井酒造で、加賀藩の本陣が置かれ、3代藩主前田利常が酒を気に入り越後にありながら加賀の2文字を使用することを許したと伝えられているそうです。
2015/05/03 09:51:45
右手に秋葉神社がありました。1778年に火事の火元に創建したとのことで、芭蕉のときはなかったようです。
2015/05/03 10:08:28
港のそばを歩いていると、ホンダS800やブルーバードSSSなど往年の車が走り抜けていきます。クラシックカーの催しをやっているようです。
2015/05/03 10:18:10
姫川を渡ります。頚城山塊が良く見えます。
2015/05/03 11:04:07
青海にくると、右手に青海本陣跡がありました。
2015/05/03 11:23:21
1912年に大雪崩で除雪作業の人が多く亡くなったようです。
2015/05/03 11:43:44
親不知子不知は、洞門・トンネルが連なり、多くのところは歩道も無く、安全に通過するのが大変です。山側のほうが路肩が広いところが多く、また、車との相対速度が歩行速度分少なくなるので、左側通行することが多くなります。場所によっては、左の路肩も狭くなり、壁にへばりついての歩行となります。後ろに自転車用の点滅ライトを2つ付けて歩きました。
2015/05/03 12:51:27
展望台からの親不知です。波打ち際は歩けそうにありません。近年、侵食により波打ち際が無くなっているとのことで、歩ければ芭蕉と同じように海岸を歩きたかったのですが残念です。
2015/05/03 13:04:44
ホテルのところから、旧道がしばらく続き快適です。振り返ると、少し砂浜もあり、海岸沿いに歩けるところもあるようです。
2015/05/03 13:47:24
市振にさしかかると、海道の松があります。ここから海岸に下りて、昔の旅人は寄せ来る波におびえながら歩いていったそうです。
2015/05/03 13:48:50
弘法大師が杖で足元の土を三度突いてつくった井戸だそうです。
2015/05/03 13:51:19
すぐ先の左手には芭蕉が泊まったとの桔梗屋跡があります。遊女の話は芭蕉の創作らしいとのことですが。
2015/05/03 13:53:47
右手の小学校のところに市振関所跡がありました。幕府が設けた53の関所のうちの重要23関のひとつだったと説明されています。
2015/05/03 14:23:36
境川を越えると富山県に入ります。新潟県を抜けるのに延べ10日かかりました。
2015/05/03 14:34:36
左手に造り酒屋がありました。「黒部峡」をつくっている林酒造です。
2015/05/03 14:36:50
また関所跡がありました。こちらは加賀藩が設けたものだそうですが、全国でも最大級の規模をもつ関所だったとのことです。
2015/05/03 15:18:10
宮崎の集落ではお祭りのようで、赤ののぼりがならんでいます。
2015/05/03 15:21:39
左手に鹿嶋神社がありました。うしろの森は宮崎鹿島樹叢として天然記念物になっています。
2015/05/03 15:39:25
海岸線を離れて線路を超えると左手に「わせの香や分入右はあり磯海」とある大きな芭蕉の句碑がありました。
2015/05/03 15:42:13
左手に大ケヤキがあり親鸞聖人の腰掛石の説明板がありました。腰掛石はケヤキの右後ろに隠れています。
2015/05/03 15:59:41
泊の町並みです。泊から、愛本橋を通る上街道が分かれますが、芭蕉は雨が続いていなかったため、距離の短い下街道をいったと思い、私も今日の宿の入善に向かいます。
2015/05/03 16:46:35
この日はだいぶたくさん歩き、足がよれてきましたが、街道松と思われる松が、はげましてくれるようで、あと少しをがんばって歩きました。