開始日時 | 2015/05/02 08:52:52 | 終了日時 | 2015/05/02 17:08:37 |
水平距離 | 41.54km | 沿面距離 | 41.66km |
経過時間 | 8時間15分45秒 | 移動時間 | 8時間15分23秒 |
全体平均速度 | 5.04km/h | 移動平均速度 | 5.04km/h |
最高速度 | 8.27km/h | 昇降量合計 | 642m |
総上昇量 | 311m | 総下降量 | 331m |
最高高度 | 90m | 最低高度 | -6m |
2015/05/02 08:56:36
始発電車で乗り継いで9時前に高田に着きました。
近道を行きますが、雁木の町並みです。屋根には雪下ろしのためか梯子がかかっています。
2015/05/02 09:16:42
土橋にさしかかると、大杉屋惣兵衛という老舗和菓子屋さんがありました。創業400年だそうです。
2015/05/02 09:24:59
まえに今町(直江津)から来ましたが、左の加賀街道に進みます。
2015/05/02 10:04:55
左手に広々としたところがでてきました。上杉謙信公の居城として広く知られている春日山城の土塁、堀等があったそうです。
2015/05/02 10:10:09
街道松が少し残っています。
2015/05/02 10:27:57
左に少しはいると居多神社がありました。芭蕉が寄ったときは、この地ではなく、海のそばだったようです。
2015/05/02 10:33:57
すぐ先に五智国分寺がありました。芭蕉の句碑もあります。
2015/05/02 10:37:52
海岸のそばまで行くと、親鸞聖人上陸の地がありました。
2015/05/02 11:31:34
長浜の集落にかかると造り酒屋がありました。能鷹というお酒をつくっているようです。
2015/05/02 12:41:19
有間川を渡って集落をいきます。
2015/05/02 12:50:05
茶屋ヶ原の集落を過ぎていくと、乳母嶽神社がありました。竜などの彫り物がしてあります。
2015/05/02 12:54:49
左乳母嶽神社とある道標がありました。北陸街道は少し先で廃道になっているそうなのと、越後国頚城郡高田領往還破損所絵図というのをみると、1751年の地震の前は鳥ヶ首まで海岸沿いのほうに街道は行っていたようなので、ここを右にいき、海岸線に沿って歩くことにしました。
2015/05/02 13:28:40
1751年の地震は名立崩れともいわれ、裏山がくずれて4百余命が亡くなったそうで、供養塔がたてられているそうです。
2015/05/02 13:34:51
名立つの町並みです。
2015/05/02 14:05:32
北陸本線の旧区間を自転車道とした久比岐自転車道が国道に沿って続いています。旧街道を歩きたいのですが、国道が歩道も無いところは、こちらを歩いています。
2015/05/02 14:26:50
筒石の旧道は、細く、両側に家が連なり独特な雰囲気です。
2015/05/02 15:21:09
百川の集落です。
2015/05/02 15:53:56
能生にかかると左に白山神社がありました。茅葺の社殿です。芭蕉は暮れて能生に着いたようで、見ていないかもしれません。
2015/05/02 16:04:02
芭蕉が泊まった玉や五郎兵衛らしいそうです。
2015/05/02 17:07:52
明日の為に、能生よりひとつ先の駅まで歩いて、糸魚川のビジネスホテルに泊まりました。