開始日時 | 2015/04/08 07:06:10 | 終了日時 | 2015/04/08 15:56:10 |
水平距離 | 40.76km | 沿面距離 | 40.92km |
経過時間 | 8時間50分00秒 | 移動時間 | 8時間40分55秒 |
全体平均速度 | 4.63km/h | 移動平均速度 | 4.71km/h |
最高速度 | 8.00km/h | 昇降量合計 | 851m |
総上昇量 | 425m | 総下降量 | 426m |
最高高度 | 95m | 最低高度 | -19m |
2015/04/08 07:08:50
柏崎から朝一番の電車で青海川まで来て歩き始めます。いきなり急なのぼりです。
2015/04/08 07:39:37
笠島の駅の手前に、石仏などが安置されていました。
2015/04/08 07:52:37
笠島の集落を抜けて上っていると、牛ヶ首層内褶曲の説明板があり、上下の地層は整然としているけど、中央部が不規則との説明がされています。
2015/04/08 08:12:29
聖ヶ鼻が見えてきました。旧道が見えますが、ここも中越沖地震による地滑りで通れなくなっているとのことです。
2015/04/08 08:19:16
坂を下ってくると、題目石などが並んでいました。
2015/04/08 08:25:19
海のそばまで来ると、大きな題目石がたっていました。
2015/04/08 09:00:04
旧道が通れないのでトンネルを抜け、鉢崎の集落にさしかかると、鉢崎関所跡がありました。
2015/04/08 09:01:40
静かな鉢崎の町並みです。芭蕉はここで泊まったとのことです。
2015/04/08 09:45:08
だいぶ歩くと、石仏が載った二十三夜塔と念仏供養等がありました。
2015/04/08 10:19:10
柿崎の町並みをいくと親鸞上人お枕石の説明板があり、そばの公園には銅像や石碑がありました。一夜の宿を断られて、軒下で過ごしたところだそうです。
2015/04/08 10:25:20
柿崎のはずれには玄川神社がありました。
2015/04/08 11:13:59
上下浜まで来ると了蓮寺がありました。
2015/04/08 11:43:14
だいぶ歩いて、左手に池がありました。向かいには、どんとの石井戸があります。
2015/04/08 11:46:26
少し先の角に、道標がありました。「米山道」「「左 奥州道」とあるようです。
2015/04/08 11:50:22
少し先の立派な家の前に明治天皇潟町行在所の碑が立っています。
2015/04/08 11:52:59
また少し先には、火防地蔵尊がありました。
2015/04/08 12:39:56
だいぶ歩いて犀潟までくると諏訪社がありました。
2015/04/08 13:59:30
黒井を過ぎ、工場群とフェリー乗り場を過ぎて、関川を渡ります。
2015/04/08 14:07:21
少し迷って聴信寺によりました。芭蕉がここに着いたとき、忌中で宿泊を断られたそうです。
2015/04/08 14:19:07
直江津の西本町の町並みです。
2015/04/08 15:12:56
高田に向かってだいぶ歩くと追分地蔵がありました。高田の城下町の繁栄を図る為、当時の高田藩は今町(直江津)にある荒川の橋を落とし、富山、柏崎方面から往来する旅人を必ず高田城下に廻らせるようにしたと説明されています。
2015/04/08 15:39:15
高田の北本町までくると雁木の町並みが続いています。
2015/04/08 15:49:13
本町までくると、高田小町とある家がありました。明治時代に建築された町家「旧小妻屋」だそうです。
2015/04/08 15:53:56
高田橋を渡って駅に向かいますが、案内はありませんが、橋の袂が芭蕉が宿泊したところらしいです。
駅から上越妙高で北陸新幹線に乗り継ぎ、帰りました。