開始日時 | 2015/04/07 07:39:14 | 終了日時 | 2015/04/07 15:37:44 |
水平距離 | 34.63km | 沿面距離 | 34.76km |
経過時間 | 7時間58分30秒 | 移動時間 | 7時間40分59秒 |
全体平均速度 | 4.36km/h | 移動平均速度 | 4.50km/h |
最高速度 | 7.19km/h | 昇降量合計 | 584m |
総上昇量 | 292m | 総下降量 | 292m |
最高高度 | 79m | 最低高度 | -7m |
2015/04/07 07:43:34
7時の朝食を済ませ、歩き始めると良寛堂がありました。良寛生誕の地とあります。
2015/04/07 07:48:23
少し先の左手が公園になっており、芭蕉園とあります。右手には芭蕉が泊まったとされる大崎屋跡があったらしいのですが、案内板もなく、どこか不明でした。
2015/04/07 08:06:46
天領だった出雲崎のはずれに獄門跡がありました。
2015/04/07 08:39:00
石地にかかると、立派な長屋門がありました。日本石油初代社長の内藤久寛氏の生家だそうです。
2015/04/07 09:46:44
椎谷岬トンネルの入口のそばに、庚申塔などが並んでいました。観音岬(椎谷岬)に行く道は、2007年の中越地震で閉鎖され、大きなコンクリートの壁で行けなくなっており、しかたがなくトンネルを通ります。
2015/04/07 10:04:31
トンネルを抜けると、すぐ椎谷の馬市跡がありました。
2015/04/07 10:43:32
宮川の集落を抜けると、お堂があり、そばに庚申塔と二十三夜塔がありました。
少しいくと大湊集落になりますが、その先は原発があり迂回していくことになります。
2015/04/07 13:18:18
原発を過ぎ、荒浜の集落をすぎたところのゴルフ練習場で昼食をすませ、小雨が降り出した中を歩いていると、右手に石塔が並んでいました。無漏寺とあります。
2015/04/07 13:34:47
柏崎の東本町の交差点にえんま通りの標柱がありました。恐ろしげな名前です。
2015/04/07 13:36:00
すぐ先に閻魔堂があり、えんま通りの名の由来がわかりました。えんま大王が祀ってあるようで、エンマ市がいまでも6月14-16日に開かれているようです。
2015/04/07 13:51:02
西本町をいくと、立地蔵がありました。明治11年までは街道の中央に立っていたそうです。
2015/04/07 13:53:43
少し先には、お地蔵がありました。ねまり地蔵尊というそうです。火除け地蔵とも呼ばれ地元の人々に親しまれているそうです。
2015/04/07 14:18:21
左手に貞心尼剃髪の地「閻魔堂跡」の説明板がありました。貞心尼は、良寛の弟子になったひとのようです。
2015/04/07 14:50:13
鯨波駅をとおり、鯨波の集落を上っていきます。振り返ってみました。
2015/04/07 14:51:49
坂を上りきったところに庚申塔などが並んでいました。
2015/04/07 15:14:49
国道から左にわかれ、坂を登っていくと石の道標がありました。右ハかみがた道とあるようです。
2015/04/07 15:19:12
峠には米山山荘がありました。1992年の夏に来たところです。
2015/04/07 15:28:53
湯殿山の石碑があり、ここから右に下っていき、青海川の駅にでて、JRを利用して宿は柏崎でした。