奥の細道、尾花沢から山寺

マーカーリスト

ACTIVE LOG

GPSログ解析

開始日時2014/05/30 06:34:35終了日時2014/05/30 16:19:09
水平距離40.10km沿面距離40.34km
経過時間9時間44分34秒移動時間8時間58分11秒
全体平均速度4.14km/h移動平均速度4.47km/h
最高速度39.12km/h昇降量合計789m
総上昇量462m総下降量327m
最高高度459m最低高度84m

写真レポート


念通寺

2014/05/30 06:38:27

念通寺

歩き始めるとすぐ念通寺が右手にありました。芭蕉をもてなした清風が本堂伽藍を建立したそうです。



辻大明神碑

2014/05/30 07:42:24

辻大明神碑

しばらく歩いて追分の手前に辻大明神碑がありました。飢饉のときに年貢の免除を訴えた代官辻六郎左衛門をまつっているらしいです。



尾上の松

2014/05/30 08:42:36

尾上の松

国道と合流して歩いていると、左に尾上の松がありました。約600年の樹齢だそうで、芭蕉も見たものと思われます。



愛宕神社のケヤキ林

2014/05/30 09:35:57

愛宕神社のケヤキ林

楯岡までくると、右手に神社があり愛宕神社のケヤキ林の案内板がありました。岩のすき間に生えているそうです。



六田宿の芭蕉像

2014/05/30 10:44:30

六田宿の芭蕉像

六田の交差点に芭蕉像がありました。紅花畑で働く若い娘に心ひかれて「行末は誰肌ふれむ紅の花」の句を詠んだと説明されています。



松並木

2014/05/30 12:02:33

松並木

神町を過ぎかかると松並木が少しだけ残っていました。



熊野神社

2014/05/30 12:55:58

熊野神社

天童にさしかかると左手に熊野神社がありました。そばに大ケヤキがあり、こちらも樹齢600年ということで、芭蕉も見たかもしれません。



旧東村山郡役所資料館

2014/05/30 13:23:04

旧東村山郡役所資料館

左手奥に洋風の建物が建っていました。旧東村山郡役所資料館で、明治12年、東村山郡役所として建てられたものだそうです。



山寺街道道標

2014/05/30 13:30:51

山寺街道道標

羽州街道から分かれ、旧山寺街道を行くと道標がありました。「右 若木公道 左 湯殿山道」とあるそうです。



湯殿山石碑など

2014/05/30 13:43:36

湯殿山石碑など

用水路の柵の向こうに湯殿山などの石碑が並んでいました。このすぐ先から旧道が左に平行して残っているというので、そちらを歩いて行きます。



芭蕉句碑

2014/05/30 14:29:53

芭蕉句碑

石倉を過ぎて行くと、左手に芭蕉句碑などがありました。「まゆはきを 俤にして  紅粉の花」とあるようです。ここから旧道らしい細道が左斜めにありますが、地図では続いていないようなので広い車道を行きます。



山寺・根本中堂

2014/05/30 15:17:09

山寺・根本中堂

山寺に着きました。奥の細道本文には尾花沢より七里ばかりとありますが、40キロほどあったようです。十の字を誰かが写し間違えたのでしょうか。
階段を上ると根本中堂があります。



芭蕉像

2014/05/30 15:19:16

芭蕉像

境内には芭蕉像もありました。



山寺・胎内堂

2014/05/30 15:35:06

山寺・胎内堂

山上の堂にのぼると本文にもあるように、奥の院まで登ってみました。右手上には胎内堂が見えます。



山寺・五大堂

2014/05/30 15:50:43

山寺・五大堂

奥の院を拝んだ後、右手の五大堂に寄りました。見晴らしがよいです。この日は天童までJRで戻りビジネスホテルに泊まりました。



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