開始日時 | 2013/12/02 07:06:35 | 終了日時 | 2013/12/02 14:16:01 |
水平距離 | 30.56km | 沿面距離 | 30.66km |
経過時間 | 7時間09分26秒 | 移動時間 | 7時間00分59秒 |
全体平均速度 | 4.28km/h | 移動平均速度 | 4.36km/h |
最高速度 | 6.32km/h | 昇降量合計 | 973m |
総上昇量 | 490m | 総下降量 | 483m |
最高高度 | 148m | 最低高度 | 30m |
2013/12/02 07:52:43
今回の旅も最後の日になりました。天気が良くて何よりでした。
宿を7時過ぎに出て、歩き始めました。渡り鳥が鳴きながら上を飛んでいきます。
大分歩いて二迫川を越えます。この先、県道と分かれて右に行きます。
2013/12/02 08:06:42
県道を横切るところに史跡 奥州上街道入口の標柱が立っています。この道を行くと芭蕉衣掛の松があります。
2013/12/02 08:29:30
峠までのぼっていくと、芭蕉が衣を掛けて一休みしたという松の切り株が残っていました。
2013/12/02 08:44:55
祠堂ヶ森を通って、県道まで下ってきました。右には説明板もあります。
2013/12/02 09:24:40
しばらく歩いて一迫川を渡ります。この先で、右に真坂の宿に入っていきます。
2013/12/02 09:40:08
真坂の宿場の町並みです。
2013/12/02 09:46:36
右手に秋葉神社がありました。境内には芭蕉の時雨塚があるそうです。
2013/12/02 10:32:47
しばらく歩くと右手に旧道の入り口がありました。もちろん入っていきます。
2013/12/02 10:48:48
途中に潜松古墳群の説明板がありました。街道の松の枝が交叉し合ってトンネル状になっていたので、潜松の名が付けられたそうで、ここには、3基の古墳があるとのことです。
2013/12/02 11:12:58
いったん県道にでますが、少しでまた旧道歩きとなります。石畳の道を千本松長根に向かってのぼっていきます。
2013/12/02 11:16:25
千本松長根が始まります。石碑が並んでいました。
尾根伝いの両側に、松並木が続き「千本松長根」と呼ばれていたそうで、戦争中は松根油のために利用したそうです。
2013/12/02 11:16:53
戦時中「松根油」採取のために伐採されたために大木はありませんが、そこそこ大きくなった松が続いています。
2013/12/02 11:22:19
中ほどに「南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る」と刻まれたおくのほそ道碑がありました。
2013/12/02 12:26:50
また、県道にでてから、右に舗装路を行きます。砂利道を左に曲がるところで、案内がないので行き過ぎて少し戻りました。旧道を行くと狼塚がありました。狼が出るので、お供え物をしたら、出なくなったそうです。
2013/12/02 12:35:41
また、県道に出て、今度は左に入って行きます。
2013/12/02 12:42:43
また、県道に出るとすぐ天王寺一里塚がありました。ここの一里塚も左右両方残っています。
2013/12/02 12:54:54
一里塚から下ってくると天王寺追分にでました。案内板などが並んでいます。
ここからの道は区画整理されて残っていないようですが、要害の交差点に出る斜めの道は、旧街道の名残ではないかと思い歩いてみました。
2013/12/02 13:24:39
江合川をわたると岩出山の町です。
2013/12/02 13:39:44
岩出山の町で、まず有備館を見てみようと行って見ましたが、震災で倒れた建物の修復のため休みでした。垣根の隙間からお庭がみえるので、これで我慢します。
2013/12/02 13:49:48
岩出山の町を歩いていると芭蕉の像がありました。芭蕉はこのすぐ先にある交番付近にあった石崎屋という旅籠に泊まったといわれているそうです。
2013/12/02 14:02:03
城山公園に上ると伊達政宗立像がありました。ここにあったお城が仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城だったそうです。
2013/12/02 14:15:32
今回の旅もここで終わりです。思ったより早くついたのと、有備館を見ることができなかったので、予定より早く、夕食に間に合うように帰りました。