開始日時 | 2013/11/29 09:13:21 | 終了日時 | 2013/11/29 14:51:50 |
水平距離 | 24.83km | 沿面距離 | 24.92km |
経過時間 | 5時間38分29秒 | 移動時間 | 5時間22分02秒 |
全体平均速度 | 4.42km/h | 移動平均速度 | 4.62km/h |
最高速度 | 9.12km/h | 昇降量合計 | 234m |
総上昇量 | 119m | 総下降量 | 115m |
最高高度 | 50m | 最低高度 | 1m |
2013/11/29 09:27:57
新幹線で古川まできて、乗り換えて鹿又まできて、歩き始めます。前回の終わりの天王橋で北上川を渡ります。渡ってすぐ右に国道から分かれていきます。
2013/11/29 09:58:13
いったん合流した国道と分かれて、仮設住宅の立っている公園に沿っていくと、湯殿山や水神の石碑が並んでいました。
2013/11/29 10:17:02
北上川を渡って、国道から分かれて飯野川の町に入り、左に曲がるところに湯殿山などの石碑がありました。
2013/11/29 10:17:28
飯野川の町並みは真っ直ぐ行くほうで、石碑のある角から眺めるだけです。
2013/11/29 10:41:43
国道と合流し、北上川の堤防に出たところに芭蕉公園がありました。すぐ上流には北上川大堰があります。明治までは、北上川は西を流れており、少し先から合戦谷沼があったそうです。
ここから、歩道がなくなり、車に怯えながらのウォーキングになります。100円ショップで買った自転車用の尾灯を後ろに付けて歩きます。
2013/11/29 11:41:02
右に行く道のところに山田城跡の碑がありました。葛西氏家臣山田氏の居城で永正合戦で滅亡したとのことです。
ここから、歩道があります。採石場がいくつかあり、ダンプが多く通る歩道のない道は大変でした。
2013/11/29 12:21:59
右手に鳥居があり柳津虚空蔵尊とあります。平成28年には33年に一度(37回目)の御開帳が行われるそうです。
2013/11/29 12:36:36
気仙浜街道と分かれる手前の右奥に、明耕院があります。
2013/11/29 12:36:56
すぐそばには奥の細道の碑があります。そばの説明板には、本吉郡南方柳津村(現在の津山町)の南入り□に当たる明耕院黒門を通り、宮下鎮守の森のたもとに辿り着いたと思われる。そこは今「奥のほそ道の碑」の建っている付近である。」とあります。黒門は川の近くにあったのでしょうか。
2013/11/29 12:52:54
宿場だった柳津は北上川の改修でなくなってしまったそうで、ここらあたりは宿場のはずれだったのでしょうか。
2013/11/29 13:13:12
柳津小学校の西のところで国道から右に分かれて、製材所のところでクランク状に曲がって黄牛集落を抜けると水神の石碑がありました。
この先も右の山沿いの道を歩いていきます。
2013/11/29 13:59:10
登米大橋にでる手前に、大きな栗の木がありました。幹周りは5~6メートルもあるそうで、樹齢330年ほどだそうです。
2013/11/29 14:05:59
登米大橋を渡った右の土手に芭蕉一宿の跡碑がありました。
2013/11/29 14:16:36
宿にザックを置いて、登米の町見物です。まず、教育資料館です。明治21年に建てられた旧登米高等尋常小学校校舎だそうです。
2013/11/29 14:21:29
こちらは明治4年に水沢県庁舎として建てられ、その後、治安裁判所などに利用されたものだそうです。
2013/11/29 14:22:47
雰囲気のある武家屋敷が並んでいます。
2013/11/29 14:34:56
階段を上って登米神社におまいりです。境内に芭蕉の句碑もありました。
2013/11/29 14:44:25
こちらも古く、明治22年から昭和43年まで旧登米警察署庁舎として使用されていたものだそうです。
宿に戻って、油麩料理などたらふく食べてゆっくり休みました。