注)上下堤からお七茶屋を過ぎ仙台松島道路を越えてから、入っていく旧道は、最後が立ち入り禁止になっていました。これから歩こうとするかたはご注意ください。
また、小野の歴史の道の標識から左に行くのが旧道だそうですが、気付かずに真っ直ぐ行ってます。
開始日時 | 2013/11/02 07:19:59 | 終了日時 | 2013/11/02 15:33:53 |
水平距離 | 39.30km | 沿面距離 | 39.37km |
経過時間 | 8時間13分54秒 | 移動時間 | 8時間04分49秒 |
全体平均速度 | 4.78km/h | 移動平均速度 | 4.86km/h |
最高速度 | 8.91km/h | 昇降量合計 | 510m |
総上昇量 | 253m | 総下降量 | 257m |
最高高度 | 65m | 最低高度 | -26m |
2013/11/02 07:28:18
今日も天気はよく助かります。高城川を渡って高城宿を行きます。
2013/11/02 07:36:49
松島高校の前にくると、奥の細道の説明板があり、右先に江戸から百里の一里塚があったこと、左坂から上下堤にでるけど、その間に七むじり坂があったことなどが説明されています。
2013/11/02 07:47:33
松島運動公園を過ぎると、未舗装になります。車もまったく通らないし、快適に歩けます。
2013/11/02 08:45:30
45号線に出て、左坂から上下堤まで行き、そこから左に旧道に入りあるいていると、芭蕉の道とある石標と説明板がありました。お七茶屋(一軒亭)があったところのようです。
2013/11/02 09:03:05
仙台松島道路を越えてから、街道は尾根筋を行っていて、国土地理院の地図には点線があるのですが、歩けるか不安なまま、そちらに行って見ました。
しばらくは車が入ったあともあったのですが、それもなくなり倒木があったりしましたが、なんとか歩ける状態でした。急に開けた場所に出ると、板碑が並んでいました。下に民家が見え、西の沢という地名のところのようです。
この先、少し行くと立ち入り禁止の看板が突然出てきました。といっても、戻るわけにも行かず、先に進みます。すると土砂採取場のようなところになんとかでました。土曜だからか作業はしていないようで、ちょうどよかったです。
2013/11/02 09:41:14
吉田川沿いに下って、小野橋で対岸に渡ります。
2013/11/02 09:51:28
小野に入ると、歴史の道とある石標がありました。「本町の角から45号線を横切って田町に入りお預け足軽屋敷跡を過ぎ左に功岳寺をみて追分けに至る。」とありましたが、45号線が今の県道150号線とは理解できず真っ直ぐ進んでしまいましたが、ここを左に曲がって行くのが旧道だったようです。ストリートビューによると道なりに行くと四辻があり、道標が立っているようで、そこが追分のようです。そこを真っ直行き、山際を進めば、45号線のところで合流するようです。
2013/11/02 11:13:49
矢本町に入るところに須賀神社があり前に建治2年(1276)板碑がありました。「宮生」の3回忌の供養のためのものとの説明がありますが、宮生がだれかは不明です。
2013/11/02 11:22:27
立派な造り酒屋があるかと思えば、今は「蔵しっくパーク」-くらっぱ-という「ひと・まち交流館」、「ふれ愛情報プラザ」になってるそうです。
2013/11/02 12:45:39
金華山道とある大きな道標がありました。国道は左に分かれ、右は金華山道で真っ直ぐ街道を進みます。
2013/11/02 13:11:18
日和山に登り始めて振り返ると、石巻の町と北上川が一望できます。
2013/11/02 13:15:32
日和山の頂上には、鹿島御子神社があります。
2013/11/02 13:16:52
日和山からは金華山は見えないのですが、そちらの方向の眺めもいいです。金華山は牡鹿半島の陰になっていて、こちらから見えているのは田代島、網地島のようです。
2013/11/02 13:19:39
芭蕉句碑があるというので探してみると、松の木に抱かれるようにありました。
2013/11/02 13:36:57
震災の跡の残る町を歩いてくると、川の中に雄島がありました。源義経が船頭に片袖を与えて渡ったという袖の渡りがこのあたりだそうです。また、この雄島の向こうに、石巻の語源となった巻石があるそうだけど、満潮のため見えませんでした。
2013/11/02 13:37:21
すぐそばには住吉神社があります。正式には大島神社というそうです。
2013/11/02 13:44:42
芭蕉一宿の地の碑が石巻グランドホテル前にあるというので寄ってみました。碑は、旧新田町の場所を示すもので、芭蕉は新田町(現千石町)の四兵へ宅に一泊したとあるだけで、このホテルの場所に泊まったとはありませんでしたが、この辺りだったのでしょう。
2013/11/02 13:53:31
右に大きな石碑が並んでいる神社がありその前に旧町名、蛇田町碑がありました。登米懐古館所蔵の領内図によると蛇田町の北端に一里塚があったそうです。
2013/11/02 14:34:46
歩道の無い北上川の土手の道を歩いていると、前に愛宕山がこんもりとあり、曽波神社の鳥居が見えます。
2013/11/02 15:19:54
北上川に沿って上っていき、天王橋のそばまで来ると、左下に八雲神社があり、芭蕉の句碑がありました。「川上とこの川下や月の友」とあるそうです。
ここからは、JR鹿又駅まで急いでいき、仙台から新幹線で帰りました。