奥の細道、仙台から松島

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GPSログ解析

開始日時2013/11/01 05:45:53終了日時2013/11/01 15:17:08
水平距離46.95km沿面距離47.23km
経過時間9時間31分15秒移動時間8時間40分56秒
全体平均速度4.96km/h移動平均速度5.39km/h
最高速度17.71km/h昇降量合計945m
総上昇量450m総下降量495m
最高高度126m最低高度-57m

写真レポート


榴岡天満宮・句碑

2013/11/01 06:06:23

榴岡天満宮・句碑

ビジネスホテルの朝食はパスして、薄明るいうちに出発しました。人気のほとんどない道を歩いて榴岡天満宮に着きました。境内にはたくさんの句碑があり、芭蕉のものもありました。



榴岡天満宮・社殿

2013/11/01 06:07:25

榴岡天満宮・社殿

社殿は震災の影響か、そばまで入れないようになっています。左手に仮社殿があり、そちらでおまいりしました。菅原道真を祀っているそうで、受験シーズンには受験生が多く参拝するそうです。



原町

2013/11/01 06:21:08

原町

45号線を越え、街道らしい原町を行きます。



原町苦竹の道知るべ石

2013/11/01 06:29:03

原町苦竹の道知るべ石

原町から左に曲がるところに道知るべ石がありました。塩竃街道と八幡街道の追分だったところです。
この先のJRを越えるところで、手前の県道を越せず、左に行って大きく迂回してしまいました。右の信号まで迂回するほうがよかったみたいです。



比丘尼坂

2013/11/01 07:08:02

比丘尼坂

県道を行きますが、2箇所右に旧道が残っていて、2箇所目の旧道が終わるとすぐ左に旧道があります。バス営業所のところを真っ直ぐ登って行く道のほうが古い道だそうで、そちらを行くと比丘尼坂の標石がありました。



道標や石碑

2013/11/01 07:27:39

道標や石碑

坂を避けて新しく作った街道と合流するところには、道標や石碑がたくさんありました。



東光寺

2013/11/01 07:44:22

東光寺

今市橋を渡ると東光寺に突き当たります。おくのほそ道の碑があります。



十符の菅

2013/11/01 07:49:50

十符の菅

寄り道して、藩主に献上した十符の菅を栽培していたところをみにいきました。谷の入り口に説明板がありました。栽培していたという奥のほうまで行ってみました。



追分の道標

2013/11/01 08:08:27

追分の道標

岩切駅に向かっているとバイパスの手前に追分の道標がありました。右しおがまみち、左まつしまみちとあるようです。



奏社宮道標

2013/11/01 08:49:58

奏社宮道標

多賀城のあたりが見えるとこまでくると、道が分かれており奏社宮道、右塩釜新道、左塩釜旧道と道標にあります。多賀城碑をみに右に行きます。



壷碑

2013/11/01 08:54:12

壷碑

すぐに壷碑(多賀城碑)に着きました。芭蕉が疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲すと感心したものですが、あたりには人気も無く、気持ちの良いところでした。



多賀城政庁跡

2013/11/01 09:12:00

多賀城政庁跡

壷碑の向かいが多賀城政庁跡です。奈良、平安時代に思いをはせながら見ていきます。
ここから、旧道を通って塩釜に向かいます。



陸奥総社宮

2013/11/01 09:24:31

陸奥総社宮

少し旧道を行くと陸奥総社宮がありました。100社の神を合わせ祭っているそうです。思わずお参りして、お願いことをしてきました。



旧道・新道合流点

2013/11/01 09:47:53

旧道・新道合流点

塩釜の町はずれに来ると、新道と合流しました。塩釜の町には向かわず、新道のほうに行き末の松山などを見に行きます。



おもわくの橋

2013/11/01 10:17:28

おもわくの橋

野田の玉川に架かるおもわくの橋に着きました。野田の玉川は、京都府綴喜郡井手の玉川、大阪府高槻三島の玉川、東京都調布の多摩川、滋賀県草津市野路の玉川、和歌山県高野山の玉川とともに、六玉川の一つだそうです。



末の松山

2013/11/01 10:37:25

末の松山

宝国寺の裏に末の松山がありました。「君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ」(古今和歌集東歌)などの歌枕として有名だそうです。



沖の石

2013/11/01 10:39:33

沖の石

すぐ南には沖の石がありました。昔は番人がいて保護されていたそうです。



多賀城廃寺跡

2013/11/01 11:04:12

多賀城廃寺跡

浮島を見に行く途中に、多賀城廃寺跡がありました。仏教の力で東北地方の安定を図るため建てられた多賀城跡の付属寺院だそうです。



浮島

2013/11/01 11:19:14

浮島

浮島神社がある浮島です。本文には出てきませんが、随行日記によると芭蕉はここにも寄ったそうです。こんもりした小山の上に神社があります。



野田の玉川

2013/11/01 11:38:43

野田の玉川

浮島からの帰り、野田の玉川を越えるところにお堂と歌碑がありました。説明板には天明7年に塩釜の俳人が能因法師の歌碑を建立したとあります。
芭蕉はここから玉川添いに下って末の松山などを見に行ったのかもしれません。



塩釜神社

2013/11/01 11:56:13

塩釜神社

塩釜の町に戻ると塩釜神社がありました。こちらの階段は202段あるそうです。登ってお参りしていきます。



御釜神社

2013/11/01 12:12:27

御釜神社

次に御釜神社を訪ねました。左手に釜が祀られています。随行日記で見るとある塩釜のかまでしょうか。



芭蕉止宿の地

2013/11/01 12:17:21

芭蕉止宿の地

塩釜神社の裏坂の上り口に芭蕉止宿の地の説明板がありました。この付近に芭蕉は泊まったそうです。



芭蕉船出の地

2013/11/01 12:21:26

芭蕉船出の地

芭蕉船出の地の説明板が味噌やさんの前にありました。当時はこのへんが海岸だったようです。今はもっと先なのでそちらに向かいます。



松島までの遊覧船

2013/11/01 12:51:01

松島までの遊覧船

芭蕉と同じく、私も舟で松島まで行くことにしました。マリンゲートからの船出です。



松島湾

2013/11/01 13:26:27

松島湾

遊覧船に案内されて松島湾の小島見物です。乗り物はやっぱり楽ですね。



雄島

2013/11/01 14:01:02

雄島

松島に着いて、雄島見物です。船着場の観光客の多さに比べて、人は疎らです。



句碑

2013/11/01 14:07:53

句碑

雄島にも芭蕉の句碑がありました。他にもお堂や石碑などたくさんあります。



瑞巌寺・庫裡

2013/11/01 14:42:25

瑞巌寺・庫裡

瑞巌寺を見学していきます。本堂は修理中で、庫裡が見学できました。こちらも国宝だそうです。



陽徳院御霊屋

2013/11/01 14:38:38

陽徳院御霊屋

伊達政宗の正室の墓所だそうで、本堂が修復中のため見学できないので、普段は公開していない陽徳院御霊屋を公開しているようです。



洞窟群

2013/11/01 14:52:38

洞窟群

瑞巌寺の境内には洞窟群が並んでいます。



五大堂

2013/11/01 14:58:34

五大堂

次に橋を渡って五大堂を見ます。伊達政宗が慶長9年(1604)に創建したものだそうで、芭蕉もこの建物をまだ新しいときに見たのでしょう。
この後は、松島駅前まで行き、旅館に泊まりました。



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