開始日時 | 2013/10/08 07:57:17 | 終了日時 | 2013/10/08 14:38:51 |
水平距離 | 31.15km | 沿面距離 | 31.32km |
経過時間 | 6時間41分34秒 | 移動時間 | 6時間10分48秒 |
全体平均速度 | 4.68km/h | 移動平均速度 | 5.03km/h |
最高速度 | 13.92km/h | 昇降量合計 | 567m |
総上昇量 | 252m | 総下降量 | 315m |
最高高度 | 206m | 最低高度 | 49m |
2013/10/08 07:55:31
お世話になった旅館を出発です。江戸時代からあるそうですが,芭蕉がきた頃はまだなかったようです。
2013/10/08 08:03:12
駅前に芭蕉の像があります。ここから桑折まで,伊達に向かう国道は,明治30年の地図にはないようなので,県道を行くことにしました。
芭蕉が馬に乗って通ったよりも50年ほど前の1633年に,西根堰の上堰ができて,この用水路沿いに歩きやすそうな道が今では続いていて,芭蕉が歩いたという説もあるようですが,用水路を造るだけでも大変なのに,歩きやすい道も一緒に造ったとは思われないので,県道を歩くことにしました。
2013/10/08 08:40:55
左に入る旧道があり,すぐに左に松原寺があります。
またすぐに県道と合流しますが,東北自動車道を越えるとすぐ左に入る旧道があります。
2013/10/08 09:06:22
旧道がJRを越えるところに踏切がないようなので,県道に迂回しましたが,JRを越えた旧道の先に地下道の出口がありました。すこし遠回りをして損をしました。
2013/10/08 09:19:42
桑折の町にさしかかり,奥州街道に合流し,左に曲がるところの右手に旧伊達郡郡役所がありました。明治16年に建設され,国の重要文化財になっているそうです。
2013/10/08 09:20:29
すぐその先に本陣跡があります
2013/10/08 09:25:37
左に法圓寺があり,芭蕉田植塚がありました。桑折の俳人,佐藤馬耳が享保4年に碑を建てたものだそうです。
2013/10/08 09:37:00
桑折の町外れに羽州街道追分がありました。ここが羽州街道の起点のようです。
2013/10/08 09:40:23
少し行くと谷地一里塚跡がありました。
2013/10/08 10:46:37
だいぶ歩いて,4号線と合流し,また分かれて坂道を登っていくと,阿津賀志山防塁がありました。平安時代末期の奥州藤原氏が築いた防塁跡のようです。
2013/10/08 11:01:00
少し先に,国見峠長坂跡の古道が発掘されて,残っているとのことで,4号線を横断して見に行きました。芭蕉翁の碑などがありました。
2013/10/08 11:34:12
4号線を横断して貝田宿を行くと番所跡がありました。
2013/10/08 11:42:53
4号線と合流し,坂道を登っていくと,宮城県です。
2013/10/08 11:44:39
右手に下紐の石があります。用明天皇の妃である玉世姫がこの石の上でお産の紐を解いたことから名付けられたとされているそうで、藩政時代には石大仏と呼ばれていたと説明されています。随行日記には左にあるとされている大佛石ですが、今は右になっています。
2013/10/08 12:46:13
越河宿の旧道を過ぎ,4号線を行くと,馬牛沼がありました。
2013/10/08 13:19:59
右に4号線から分かれ,坂道を下っていると,右に石碑などが並んでいました。鐙摺坂です。
2013/10/08 13:23:04
少し先には田村神社があり,境内に甲冑堂がありました。中を覗いてみましたが,見れないようになっています。医王寺と同じく,佐藤継信の妻楓、忠信の妻初音の像があるそうです。
2013/10/08 13:28:39
少し先で斎川宿に入ります
2013/10/08 13:49:41
4号線に合流して、少し行くと道祖神社がありました。ご神体は****で,本殿の下にも並んでいます。
2013/10/08 14:25:20
4号線から右に分かれて白石市内に向かい,田町交差点に着きました。今日はここまでにして,右折して新幹線の駅に行き,夕食に間に合うように帰りました