開始日時 | 2020/10/23 07:58:23 | 終了日時 | 2020/10/23 13:34:52 |
水平距離 | 24.07km | 沿面距離 | 24.31km |
経過時間 | 5時間36分29秒 | 移動時間 | 5時間21分47秒 |
全体平均速度 | 4.34km/h | 移動平均速度 | 4.51km/h |
最高速度 | 8.08km/h | 昇降量合計 | 856m |
総上昇量 | 452m | 総下降量 | 404m |
最高高度 | 421m | 最低高度 | 246m |
2020/10/23 08:13:40
西坂を下り、川を渡り、芦野宿に入るとお地蔵さまが祀ってありました。座り地蔵とよばれているそうです。
2020/10/23 08:19:19
江戸時代から旅館だった丁子屋です。いまは宿泊できないようで、残念です。
2020/10/23 08:22:21
振り返っての芦野宿です。
2020/10/23 08:29:13
宿の出口にもお地蔵さまがありました。入口と出口のお地蔵さまが、宿場を守っていたのでしょう。
2020/10/23 08:38:12
左手にべこ石の碑がありました。芦野石に約3500の文字が刻まれているそうです。
2020/10/23 08:54:40
板屋一里塚の説明板がありました。一里塚は一番左の杉の木のところのようで、その向かいにも一里塚が残っているようです。もう少し先に説明板があったほうが親切かな。
2020/10/23 08:56:14
一里塚と思える所を通り過ぎて、説明板がありました。小径があり、歩いて一里塚まで行けるのかもしれません。
2020/10/23 09:09:46
奥州道中分間延絵図と明治42年測量の地図を見るとここが昔の街道の様に思えます。
2020/10/23 09:11:46
旧道の様子を見てみようと、民家の間を行くと神明神社がありました。
旧道と思われる延長線上は、民家と民家の間で、道は残っていません。
2020/10/23 09:13:40
こっちの道を入ってみると、大黒天や馬頭観音が旧道と思われるところの手前にありました。
2020/10/23 09:14:01
旧道はここから出てきていたと思われますが、先は民家の庭のようです。
2020/10/23 09:14:26
馬頭観音の所から、ここまでは歩けます。奥の細道を歩いたときには、ここに古奥州街道と案内板があったのですが、今はなくなっています。
2020/10/23 09:16:42
前に休憩した高徳寺ですが、今日は通り過ぎます。
2020/10/23 09:22:07
少しだけ旧道が残ってます。
2020/10/23 09:23:27
ここも、いかにもと思える旧道の入り口です。前は気づかずに左を行ってしまいました。
2020/10/23 09:26:33
右上に地蔵があり、脇坂の地蔵様との標識があります。
2020/10/23 09:48:17
寄居集落に入ると常夜灯がありました。
2020/10/23 09:58:18
国道のパーキングのところに一里塚が残っていました。
2020/10/23 09:59:10
右に入るのが旧道ですが、2013年の記録をみると、廃道化して通行困難なようなので侵入は諦めます。
2020/10/23 10:08:36
たくさんの製造物が並んでいます。
2020/10/23 10:10:12
箱根権現躄仇討の初花がつかったとされている清水です。
2020/10/23 10:12:34
こちらは勝五郎が岩に彫ったといわれる瓢石です。
2020/10/23 10:37:11
ここも藪となっていて入れません。
2020/10/23 10:39:10
左に明神地蔵があります。先ほどの入れなかった旧道を出たところにあります。
2020/10/23 10:44:53
峠の手前に境の明神がありました。お参りしていきます。
2020/10/23 10:47:41
峠を越えると、こちらにも境の明神があります。こちらもお参りしていきます。
2020/10/23 10:53:05
すぐさきに衣がえの清水がありました。弘法大師が身を清め、衣替えをしたというそうです。
2020/10/23 11:03:35
ここから白坂宿にはいります。
2020/10/23 11:06:55
こちらが本陣跡のようです。
2020/10/23 11:36:18
左に300mで、金売吉次兄弟の墓があるそうです。奥の細道で歩いた日光壬生道のそばにも吉次の墓がありました。どちらが本物でしょうか。
2020/10/23 11:36:55
少し先にはお地蔵さんがありました。
2020/10/23 12:14:49
曲がり角に戦死墓とある碑があります。戊辰戦争白河口の戦いの戦死者が弔われています。
2020/10/23 12:28:17
左手に「左江戸海道」とある道標がありました。高湯山道標と説明板にあり、このT字路にあったものと説明されていますが、今このT字路にあるものを、あったものと説明するのは意味不明です。一時期に他の場所に移設されていたのでしょうか。
2020/10/23 12:38:05
白河の町を歩いて行きます。
2020/10/23 12:45:22
奥の細道で歩いたところに合流し、本陣跡に来ました。
2020/10/23 12:48:49
左に曲がるところに大きな道標がありました。複製されたもののようで、道標の礎石に説明があるようです。
2020/10/23 13:10:30
奥州街道の幕府の管轄は女石追分だったようですが、女石追分までは前に歩いたので、省略して小峰城をゴールとしました。
2020/10/23 13:15:21
小峰城にゴールです。これで五街道を歩き終えた感慨に浸りながら、白河駅に向かいました。