奥州街道1 宇都宮から喜連川

 奥の細道歩きで、奥州街道の一部を歩いたので、奥州街道歩きは省略してもよいと考えていたのですが、gotoトラベルキャンペーンが始まったので、急遽奥州街道を歩くことにしました。
 一日に40Kmを歩くのも大変になってきたし、テント泊も疲れるので、ゆったり3泊4日の日程にしました。

マーカーリスト

2020-10-20

GPSログ解析

開始日時2020/10/20 08:11:06終了日時2020/10/20 14:46:47
水平距離30.15km沿面距離30.42km
経過時間6時間35分41秒移動時間6時間30分02秒
全体平均速度4.61km/h移動平均速度4.67km/h
最高速度15.17km/h昇降量合計1027m
総上昇量532m総下降量495m
最高高度195m最低高度82m

写真レポート


日光街道追分

2020/10/20 08:10:44

日光街道追分

宇都宮駅からバスで伝馬町まで来て、日光街道を歩いたときに通った交差点に出ました。ここから出発します。



おしどり塚

2020/10/20 08:29:42

おしどり塚

右手におしどり塚とあり、塚のある公園まで行ってみました。鎌倉時代に無住法師の「沙石集」に紹介されている逸話の場所のようです。



旧・篠原家住宅

2020/10/20 08:39:38

旧・篠原家住宅

右手に歴史を感じる家がありました。旧・篠原家住宅で、見学できるようです。



白山神社

2020/10/20 09:16:23

白山神社

街道を少し逸れて白山神社に来ました。宇都宮城主本多上野介が、幕府から差向けられた根来組百人衆に城普請を命じたが、従わなかったので処刑し胴を埋めた根来塚が裏手にあったそうですが、完全に宅地化されて塚は失われているようです。



土堂原地蔵尊

2020/10/20 09:29:40

土堂原地蔵尊

街道の少し右に入ったところにお地蔵さんなどが集められ、お堂にも大きなお地蔵さんが祀ってありました。根来衆の首を埋めた塚があり、宇都宮藩の刑場跡でもあったそうですが、塚は整地されてしまっています。



稚児坂

2020/10/20 10:20:41

稚児坂

初代奥州総奉行が任地に向かう折、同行の乳飲み子を亡くし葬ったのが名の由来だそうですが、バス停は稚ヶ坂となっています。



薬研坂

2020/10/20 10:45:33

薬研坂

白沢の宿に下っていきますが、やげん坂の説明板がありました。坂の形が似ているそうです。



白沢本陣跡

2020/10/20 10:50:41

白沢本陣跡



井上清吉商店

2020/10/20 10:54:15

井上清吉商店

曲がり角に造り酒屋がありました。澤姫を造っている井上清吉商店です。夜に飲みましたが、おいしかったです。



一里塚跡

2020/10/20 11:01:55

一里塚跡

そばの説明板には、古文書には、かつては鬼怒川の河原にあったとあり、ここに一里塚があったというわけではないようです。



鬼怒川

2020/10/20 11:31:57

鬼怒川

鬼怒川を渡ります。



阿久津河岸跡

2020/10/20 11:34:57

阿久津河岸跡

阿久津大橋の南側の鬼怒川左岸一帯に阿久津河岸があったそうです。



川の一里塚

2020/10/20 11:40:41

川の一里塚

川の一里塚の碑がありました。阿久津河岸の説明が裏にあるそうです。



船玉神社

2020/10/20 11:50:19

船玉神社

船玉神社に寄り道です。左の常夜灯の台座に、「右奥州街道、左江戸道、此方河岸道」と彫られています。



旧道消失

2020/10/20 12:10:16

旧道消失

旧道はこのムーススター流通センターの中に消えています。



旧道復活

2020/10/20 12:14:27

旧道復活

このフェンスで旧道はとうせんぼです。



道標など

2020/10/20 12:31:41

道標など

「右江戸海道 左水戸かさま 下だて下つま 道」の道標と北向地蔵があります。横の大きな石碑は、書家小山霞外筆の馬頭観音でしたが、交通事故により実物は古町薬師堂に移されことが説明板にあります。



氏家宿街並み

2020/10/20 12:38:39

氏家宿街並み

氏家宿を歩いて行きます。



瀧澤家住宅

2020/10/20 12:50:54

瀧澤家住宅

街道沿いに瀧澤家住宅がありました。歴史を感じる長屋門です。



狭間田一里塚

2020/10/20 13:25:13

狭間田一里塚

右のお宅に一里塚の説明板がありました。覗くと塚があり上に祠が載っています。



弥五郎坂

2020/10/20 13:41:14

弥五郎坂

弥五郎坂を登っていると、古戦場の説明板があり、喜連川軍の鮎瀬弥五郎に宇都宮軍大将の尚綱が射たれたことが説明されています。



旧道入り口

2020/10/20 13:51:27

旧道入り口

右手に旧道入り口が出てきました。今井氏の独案内には、左が奥州街道と紹介されているのですが、奥州道中分間延絵図からは右が奥州街道のようです。



旧道

2020/10/20 13:52:28

旧道

気持ちの良い道です。



荒川

2020/10/20 14:12:59

荒川

荒川を渡ります。橋の手前の信号の南東角に道標があったらしいのですが、見過ごしました。



喜連川宿街並み

2020/10/20 14:17:33

喜連川宿街並み

喜連川を歩いて行きます。



御用堀

2020/10/20 14:18:25

御用堀

街道から少し左に入ると御用堀がありました。喜連川足利氏第10代煕氏の命で弘化一(1844)年、防火と農業用水を目的に整備されたそうです。



本陣跡

2020/10/20 14:21:43

本陣跡

本陣跡に大正15年に建てられた旧喜連川警察署の建物がそば処になっています。



今日の宿

2020/10/20 14:45:29

今日の宿

今日の宿に到着です。



戻る ホーム