2007年3月21日
17日に続けて河内長野まで歩くことにしました。Y氏は仕事とのことで、ひとり歩きです。明石での弓道昇段審査を見学に行くために、昼頃までに歩いてしまおうと、始発のJRに乗って、近鉄に乗り換え、6時半に瓢箪山の駅に着きました。
歩き始めてすぐ、瓢箪山稲荷神社が左手にありました。
少し歩いて六万寺で広い道から左に外れます。
地蔵堂がありました。
すぐ広い道に合流してしばらく行くと玉租神社の参道が左手に出てきました。かつては松並木があったようです。電柱に隠れて新旧の道標もありました。
しばらく歩くと、信貴山の案内か立派な道標がありました。
少し先には一里塚跡の碑がありました。
また、少し行くと、角に道標があり、左に恩智神社の鳥居が見えます。
すぐ先にはシュミイ地蔵がありました。
しばらく行くと左に鳥居が出てきました。鐸比古神社とあるのでしょうか。
少し行くと道が分かれていて、左に進みましたが、近鉄に突き当たり、階段で右の道と合流しました。
大和川にぶつかり、川下に進み、近鉄の手前の橋を渡ります。
大和川を渡った後、川上に進み、広い道から右に分かれ、近鉄を越えていくと国府八幡宮に突き当たりました。
少し南下しますと、道明寺が右手にありました。国宝の十一面観音があるそうですが、月に2回しか公開されていないとかで、この日は駄目でした。
応神天皇陵のそばまで来ると東高野街道の案内と道標がありました。
少し行くと右手が誉田八幡宮です。立派な社殿でお詣りしていきます。
すぐ先に道標がありました。大峰山やつぼさか、大阪藤井寺などが示されています。
また少し行くと竹内街道との交差点です。見覚えのある石の道標がありました。
近鉄を渡る前には2つくっついた地蔵堂がありました。このさき広い道になります。
広い道から左に分かれたところに姥不動尊があいます。ここらあたりは高屋城のあったとこだそうです。
いったん広い道に合流するがすぐ左に別れる。その先に高屋神社がありました。
しばらく行くとお地蔵さんがありました。
東阪田にはいると地蔵堂がありました。
広い道に合流し、また左に別れます。若松町にはいると古い家が残っています。
富田林の寺内町には古い家がたくさん残る雰囲気の残る町です。
富田林を過ぎ、川西駅のそばで近鉄を越えていくと、広い道を横切るところで道が解らなくなりましたが、常夜灯をみつけて歩いているところが街道筋だろうと安心しました。
少し広い道に出てしばらく行くと大きな道標のある交差点に出ました。滝谷不動への案内でしょうか。何とかいてあるのか解らないのですが。
国道に出てしばらく歩き、踏切で右に別れる。別れてすぐに孝子地蔵があります。
少し行くと常夜灯があり、古い家がありました。
広い道に出て、坂を下り、左に別れ、国道と合流します。国道との合流点に常夜灯がありました。
そのまま国道を横切り左に入り、また国道と合流し、右に別れて坂を上って近鉄を越えていくと見覚えのある地蔵堂がありました。中高野街道を歩いた道との合流点です。
坂を下ると割坂地蔵があります。
アーケードを過ぎ、河内長野駅に昼過ぎに何とかたどり着けました。
急いで明石に行き、何人かの知り合いの昇段審査を応援することができました。