開始日時 | 2021/01/03 07:31:12 | 終了日時 | 2021/01/03 14:08:44 |
水平距離 | 28.32km | 沿面距離 | 28.67km |
経過時間 | 6時間37分32秒 | 移動時間 | 5時間47分58秒 |
全体平均速度 | 4.33km/h | 移動平均速度 | 4.92km/h |
最高速度 | 9.34km/h | 昇降量合計 | 624m |
総上昇量 | 286m | 総下降量 | 338m |
最高高度 | 76m | 最低高度 | -26m |
2021/01/03 07:36:23
鎌倉からの江の島道を歩くことにしました。
鎌倉駅から鶴岡八幡宮に参拝するときに馬を降りたという下馬に来ました。ここから長谷寺までは坂東巡礼のときに歩いた道を行きます。
2021/01/03 07:53:54
ここから始めて歩く道です。
2021/01/03 08:02:27
鎌倉七口と云われる7つの切通で、まだ歩いていなかった最後の切通です。昭和7年の極楽寺坂の碑があります。
2021/01/03 08:12:30
並んで間に柵もない江ノ電の線路を丁度電車が来ました。
2021/01/03 08:14:34
新旧3つの題目石が並んでいました。
2021/01/03 08:16:46
新田十一人塚がありました。弘安三年、新田義貞の鎌倉攻めのとき、新田軍の大館宗氏ら11人が討ち死にしたのを埋葬し弔ったところだそうです。
2021/01/03 08:23:11
海岸通りにでて、江の島に向かって歩きます。
2021/01/03 08:50:28
国道から分かれるところに道祖神が並んでいました。
2021/01/03 08:58:12
江ノ電が路面電車となっている腰越を行くと、日蓮が処刑されそうになった刑場跡という瀧口寺がありました。
2021/01/03 09:01:28
前に藤沢から歩いた江の島道と合流しました。今回は逆に藤沢に向かいます。
2021/01/03 09:02:42
杉山検校が寄進した江の島弁財天道標とは違い、江戸の講中によって建てられたものだそうです。
2021/01/03 09:04:27
こちらは杉山検校の寄進した江の島弁財天道標です。裏面には「西行の戻り松」と刻まれているそうです。
2021/01/03 09:05:44
本蓮寺の参道わきに西行戻り松がありました。江島道見取絵図では、先ほどの江ノ島弁才天道標の近くにあったようで、ここではないようです。
2021/01/03 09:10:59
諏訪神社を過ぎたところに庚申塔が二基ありました。
2021/01/03 09:13:23
泉蔵寺の前には庚申塔が並んでいました。
2021/01/03 09:13:40
すぐ先には、江の島弁財天道標があります。
2021/01/03 09:14:07
またすぐ先に双体道祖神をはさんで庚申塔があります。
2021/01/03 09:27:19
川名への交差点に来ました。左は前に歩いた江の島道で、江島道見取絵図での江の島道も杉山検校が建てた江の島弁財天道標があるのもそっちなのですが、新編相模国風土記稿の鎌倉郡のところで紹介されている江の島道は弥勒寺村、川名経由なので、右の道を歩いて藤沢に向かうことにしました。
2021/01/03 09:41:00
前に坂東巡礼の時に長谷観音から藤沢まで歩いた道に出ました。
2021/01/03 09:45:51
弥勒寺に来ると、河原地蔵があり、天保十五年の道祖神がありました。
2021/01/03 09:53:43
庚申塔などがたくさん並んでいました。
2021/01/03 10:02:39
東海道に合流です。今日は箱根駅伝の復路の日で、警備の準備がはじまっているようです。
ここで、江の島道は終わりですが、まだ時間はあるので、大鋸からの鎌倉道を歩きます。途中までは滝山道を歩いた時に歩いたところです。
2021/01/03 10:35:13
久成寺の手前に2つの石柱が建っていました。右は帝釈天王で、右かまくら道、左ふじ沢道とあるそうです。左には是従鎌倉道とあります。少し先からは玉縄城からの道と別れて鎌倉に向かいます。
2021/01/03 10:56:25
安房の里見実堯と北条氏時の争いのときの首塚だそうです。
2021/01/03 11:14:56
「せゐ志くはし」とある道標がありました。
2021/01/03 11:15:03
すぐそばにあるのは享保12年の如意輪観音だそうで、「右とつか」、「左藤さわ」とあるそうです。
鎌倉道は鎌倉に向かうのですが、前に歩いたので藤沢からの鎌倉道はここをゴールとして、時間もあるので鎌倉街道を歩くことにしました。
少し先から大舩村、岩瀬村、公田村、桂村を通って、鍛冶ヶ谷村にいく道が迅速地図にあるのですが、新編相模国風土記稿には道に関する記載はないようです。
2021/01/03 12:04:55
笠間から金澤に向かう金澤道とここで交差します。新編相模国風土記稿の鎌倉郡のところに、鍛冶谷村にて岐路になり久良岐郡日野に達する小径があると説明されている道に入ります。
2021/01/03 12:14:41
旧道は新道に沿って下っていきますが、入れなくなっていて迂回します。
2021/01/03 12:19:52
道祖供養塔があり、そばに説明板もあります。鍛冶ヶ谷村から日野村へ抜ける道は文久元年(1861)に道普請したと説明されています。
2021/01/03 13:05:07
右手に六地蔵がありました。左隣のは、延宝八年の地蔵菩薩像型の庚申塔だそうです。
2021/01/03 14:00:28
明治二十三年に、改修工事をして完成させた功績を記念して建立されたと説明されています。
2021/01/03 14:01:24
かまくらみち下の道歩きのとき歩いた金澤道と合流です。今日の最終ゴールはここにして、上大岡から帰りました。