開始日時 | 2020/12/31 11:13:02 | 終了日時 | 2020/12/31 13:15:43 |
水平距離 | 9.74km | 沿面距離 | 9.86km |
経過時間 | 2時間02分41秒 | 移動時間 | 2時間01分18秒 |
全体平均速度 | 4.82km/h | 移動平均速度 | 4.87km/h |
最高速度 | 8.51km/h | 昇降量合計 | 368m |
総上昇量 | 150m | 総下降量 | 218m |
最高高度 | 132m | 最低高度 | -9m |
2020/12/31 11:20:17
上井ノ口バス停まで秦野から来て、小田原道を歩き始めます。北田一里塚を通った御尊櫃御成道は、この小田原道と想定しましたが、真偽のほどは不明です。あるいて痕跡でもあるといいのですが。
上り坂にかかる手前に石造物がありました。風化が進んで何か不明です。
2020/12/31 11:26:04
坂を上りきると道標がありました。右に行くと七国峠のようですが、左に行きます。
2020/12/31 11:28:10
花籠の台の説明板がありました。花嫁を若者が刺して逃げたという言い伝えがあるそうです。
2020/12/31 11:30:03
左の碑には「神徳六十塚権現萬民安泰悪病消滅」右側の碑には「神徳六十塚権現霊神は原大隅守管士則明外数名ノ武者ナリ之ヲ示ス昭和三十三年九月二十三日 神通力者 原覚道 当年六十九才」とあるそうで、永禄十二年に、小田原北条氏と武田勢の野戦の戦死者の塚があったなどと云われているそうです。
2020/12/31 11:34:08
そばの説明板によると、神社の創立由来ははっきりしていないそうですが、馬場があって、草競馬が行われていたようです。
2020/12/31 11:36:25
道祖神と五輪塔などが並んでいました。
2020/12/31 11:38:55
曾屋道と交差するところに双体道祖神がありました。
2020/12/31 11:50:25
ばんた坂を下って波多野道と合流するところに天社神がありました。
2020/12/31 11:50:36
向かいには石祠を囲んで、お地蔵さんなどが並んでいました。御尊櫃御成道は、ここから波多野道を行ったと思いますが、分れて小田原道を行きます。
2020/12/31 12:06:30
金目川を越えて、坂を上って行くと、曲がり角に石造物がありましたが、風化でなにかわかりません。
2020/12/31 09:41:09
曾屋道との交差点です。曾屋道を横切って進みますが、迅速地図には北矢名村、落幡村方面に向かう道がなく、東海大学の中を通って真田村に向かう道が描かれているだけなのが気になっていますが、昔の地図で、誤りもあるだろうというのと、6月の土屋公民館だよりによると、関口の坂を通って、この交差点にでるのが小田原道で間違いなさそうなので、東海大学の中ではなく、大学の敷地に沿った道が江戸時代にもあったことにしました。
2020/12/31 12:37:54
江戸時代の中期に建立したが、巨大で運べないので、当地に御座させたと説明板にあります。
2020/12/31 13:13:30
弘法山への上り口に双体道祖神がありました。
2020/12/31 12:49:55
温泉街を過ぎていくと、出羽三山の供養塔がありました。
2020/12/31 12:54:58
箕輪駅跡の説明板がありました。平安時代の東海道の箕輪駅の跡と比定されたそうですが、確かではないようです。
2020/12/31 13:00:31
前に歩いた矢倉沢往還にでました。小田原道の分岐点で、今日のゴールです。
鶴巻温泉駅まで戻り、帰りました。