開始日時 | 2020/09/16 06:22:40 | 終了日時 | 2020/09/16 17:09:19 |
水平距離 | 46.16km | 沿面距離 | 46.85km |
経過時間 | 10時間46分39秒 | 移動時間 | 10時間39分07秒 |
全体平均速度 | 4.35km/h | 移動平均速度 | 4.39km/h |
最高速度 | 17.00km/h | 昇降量合計 | 2766m |
総上昇量 | 1375m | 総下降量 | 1391m |
最高高度 | 754m | 最低高度 | 5m |
2020/09/16 06:21:59
始発電車で6時20分に大雄山駅に着きました。矢倉沢まで前に歩いたのですが、9時過ぎまでバスの便がないのと、前回歩かなかった足柄古道を歩いてみようと、ここから出発です。
2020/09/16 06:28:40
少し登ると高札場跡です。
2020/09/16 06:29:04
すぐ上が本陣福田屋跡です。
2020/09/16 06:31:31
またすぐ先に、浅間大菩薩、登山参十三度大願成就碑があります。
2020/09/16 06:32:50
またすぐ、2基の双体道祖神と五輪塔が並んでいました。
2020/09/16 06:49:02
弘済寺の入口に石造物が並んでいました。
2020/09/16 06:52:52
右手に白地蔵がありました。願いが叶うとうどんこを塗り付ける慣習があるそうです。
この先で右の細道に入り、登っていきます。
2020/09/16 07:00:53
足柄神社にでました。前は矢倉明神社と呼ばれていたそうです。
2020/09/16 07:42:37
県道を横切るところに矢倉沢関所の説明板があります。
2020/09/16 07:45:50
矢倉沢関所跡の説明板がある畑があり、隣のこちらのお宅にも矢倉沢関所跡の標柱があります。
2020/09/16 07:50:43
馬頭観音碑がありました。すぐ先で右の細道を登っていきます。
2020/09/16 07:52:21
急坂に古道記念碑と富士獄三柱大神碑がありました。
2020/09/16 08:06:49
足柄古道入口バス停から全面通行止めとなっている左の道を登っていきます。石仏が見ています。
2020/09/16 08:22:32
矢倉沢定山城跡の説明板がありました。ずっと道路沿いに遊歩道が作られていますが、手入れがされていないので車道を歩いて行きます。
2020/09/16 08:37:14
金太郎生家跡だそうです。
2020/09/16 08:42:20
地蔵堂に着きました。鎌倉後期の作と言う地蔵菩薩像や室町時代末期作の逗子があるそうです。
すぐ先で全面通行止めになっていましたが、なんとか歩いて抜けることができました。
2020/09/16 08:59:49
石碑の裏から山道になります。
2020/09/16 09:17:17
ここからは石畳になりました。
2020/09/16 09:30:08
足柄峠に着きました。一里塚の標石があります。
2020/09/16 09:30:28
そばには足柄之関跡の標柱があります。昌泰二年(899)に盗賊取締りのために設けられたそうです。
2020/09/16 09:30:45
そばには足柄峠の標柱もあります。
2020/09/16 09:31:14
道の反対側には足柄山聖天堂があります。
2020/09/16 09:38:47
右手に六地蔵がありました。
2020/09/16 09:39:40
少し先に、また六地蔵がありました。こちらは丸彫りです。
2020/09/16 10:27:40
2基の馬頭観音がありました。天保6年と宝暦12年建立です。
2020/09/16 10:29:37
嶽之下神社たありました。左には大きな青面金剛の庚申塔があります。
2020/09/16 10:31:28
左の上に双体道祖神が並んでいました。
2020/09/16 10:33:05
坂を下り切ったところに馬喰坂の標石がありました。
2020/09/16 10:37:04
JRを越え、千束橋を渡ると馬頭観音と竹之下合戦跡碑が並んでいました。建武2年(1335)、新田軍と足利尊氏軍が戦ったところだそうです。
2020/09/16 10:38:39
双体道祖神が祠に入ってました。左後は馬頭観音のようです。
2020/09/16 10:44:33
有闘坂の登り口に常夜灯や馬頭観音、道祖神などが並んでいます。
2020/09/16 11:17:27
矢倉沢通りの案内板と馬頭観世音、庚申供養塔、善休法師 接待供養塔などが並んでいました。
2020/09/16 11:23:08
右手に唯念名号搭がありました。後にも石塔群があります。
2020/09/16 11:33:08
左に下宿地蔵尊のお堂がありました。
2020/09/16 11:37:52
高根橋のたもとには双体道祖神があります。
2020/09/16 12:06:56
御殿場の町です。そこそこ活気が感じられます。
2020/09/16 12:11:32
新橋浅間神社の前を通り過ぎます。
2020/09/16 12:20:21
右手に唯念上人名号搭がありました。
2020/09/16 12:48:39
カマド踏切を越えると、馬頭観世音、お地蔵さんなどが並んでいました。
2020/09/16 12:49:13
大きな石が3つあり、そばに建久4年(1193)源頼朝が冨士の巻狩りのおり、飯炊きのかまを築いた地が地名となったと由来が説明され、この石が地名由来の石と説明されています。
2020/09/16 12:49:44
すぐ先に双体道祖神があります。
2020/09/16 12:55:09
馬頭観音と思われる石仏がありました。
2020/09/16 12:58:50
双体道祖神がありました。右は馬頭観音でしょうか。
2020/09/16 13:25:27
馬頭観音など、ところどころに残っています。ここにも石仏などが並んでいます。
2020/09/16 13:56:26
みぎのお堂の前に、馬頭観世音、秩父西国供養搭、お地蔵さんなどが並んでいました。
2020/09/16 14:06:19
右手に題目石らしき石塔と双体道祖神二基が並んでいました。
2020/09/16 14:11:41
唯念上人名号搭がここにもあります。
2020/09/16 14:18:10
右手に石塔群が並んでいます。
2020/09/16 14:24:15
双体道祖神が二基ありました。
2020/09/16 14:51:44
観音堂の所に、双体道祖神やお地蔵さん、唯念上人名号碑などがありました。
2020/09/16 14:59:12
右の川沿いに双体道祖神やお地蔵さんなどが並んでいました。
2020/09/16 15:01:46
常夜灯が二基並んでいました。文化15年と文化2年建立だそうです。
2020/09/16 15:06:26
寛政12年の庚申塔などが並んでいました。
2020/09/16 15:18:59
右手に唯念上人名号搭がありました。右下には馬頭観音などが並んでいます。
2020/09/16 15:29:47
沼津への道と三島への道の分かれ道です。 裾野市の資料によると、三島への道が矢倉沢通で、沼津への道は、横往還沼津道だそうですが、当時の人々は後者の道こそ矢倉沢通だと考えていたことが書かれています。五海道其外分間絵図の矢倉沢通見取絵図にも三島への道が描かれています。
どちらを歩こうか悩んでいたのですが、まずは三島への道を歩いてみることにし、交差点を左折します。
2020/09/16 15:58:52
川沿いに唯念上人名号搭などが並んでいました。
2020/09/16 16:21:11
石仏が二基並んでいました。左は馬頭観音でしょうか。
2020/09/16 16:39:59
日本大学三島高等学校のところで、旧道は失われていますが、復活した先に道標がありました。左 佐野街道、右 龍澤禅寺と案内されています。
2020/09/16 16:45:39
旧道が路地になりましたが、通り抜けられそうです。
2020/09/16 16:52:56
この交差点で東海道と合流しました。矢倉沢往還の終点です。
2020/09/16 16:56:18
今日のゴールの三島神社です。久々の長旅で疲れました。