開始日時 | 2019/02/11 07:28:46 | 終了日時 | 2019/02/11 14:50:34 |
水平距離 | 34.91km | 沿面距離 | 35.56km |
経過時間 | 7時間21分48秒 | 移動時間 | 7時間17分54秒 |
全体平均速度 | 4.83km/h | 移動平均速度 | 4.87km/h |
最高速度 | 17.72km/h | 昇降量合計 | 790m |
総上昇量 | 421m | 総下降量 | 369m |
最高高度 | 156m | 最低高度 | -22m |
2019/02/11 07:51:25
神奈川宿から甲州街道の日野宿へ、日野往還という道があったらしいので、歩いてみることにしました。ネットには情報が少なく、特に小野路から先は不確かです。江戸時代から日野往還と呼ばれていたかも不明です。
佐江戸までは、前に神奈川宿から長津田まで歩いた時に歩いているので、鴨居駅からスタートし、中原街道と交差する佐江戸までやってきました。
2019/02/11 08:00:55
「佐江戸誌」によると、川和寄りの淋しい所に、夜な夜な怪しい唸り声がし、村人が掘ってみると、大きな貝が出てきたという。以後、貝の坂と呼ぶようになったそうで、旧道はここを通っていたようです。
2019/02/11 08:03:31
地理院地図では道が途切れていましたが、最後は階段で下ることができました。
2019/02/11 08:31:51
地神塔(嘉永二年)、庚申塔(嘉永五)、十三夜塔(文政九」)、電柱の陰にも石造物(文化二)が並んでいました。
2019/02/11 08:33:12
鎌倉道を歩いた時に見た庚申塔などです。宝永3年、宝永6年11月、宝暦9年のものがあるそうです。
2019/02/11 08:33:30
向かいにも石造物がありました。歌碑だそうですが詳細不明です。
2019/02/11 08:46:35
右にお堂がありお地蔵さんが祀ってありました。残念ながら首がありません。
2019/02/11 09:05:43
矢倉沢往還と交差するところの綿屋です。
2019/02/11 09:24:12
右手にお地蔵さんがありました。そこそこ古そうですが詳細不明です。
2019/02/11 09:36:52
左手に庚申塔がありました。
2019/02/11 10:19:31
「左 江戸 東 神奈川 西 八王子」とあったそうですが風化して読み取れません。
2019/02/11 11:00:57
右上に石塔が三基並んでいましたが、赤い前掛けで何の塔か読み取れません。
2019/02/11 11:32:18
何度か歩いた小野路宿です。
2019/02/11 11:49:54
小野路から先の道筋がよくわからず、迅速地図をみながら愛宕切通し、百草園、高幡不動を通っていたと想定して歩きましたが、不確かです。
小野路から八王子へ向かう道を行き、浅間神社のそばを通っていきます。
2019/02/11 11:52:45
馬頭観音がありました。
2019/02/11 11:55:07
左上に庚申塔などが並んでいました。真ん中の庚申塔は享保三年のものだそうです。ここで左に八王子に向かう道が別れていたようです。
2019/02/11 12:45:05
愛宕切通しを通り過ぎました。
2019/02/11 13:01:36
お寺の前に地蔵菩薩などが並んでいました。日野への道と関戸の渡しへの道が別れるところです。
2019/02/11 13:22:32
百草園の近くまでくるとお地蔵さんがありました。
2019/02/11 13:23:48
百草園の参道にくると砂土地蔵尊がありました。
2019/02/11 13:47:52
この先、迅速地図を参考に、南平を通って行きましたが、伊能図をみると、日野から一ノ宮までの道が描かれていました。少し先で右に曲がり、高幡西の交差点を通っていくのが日野往還だったようです。
2019/02/11 13:58:40
日野宿へ右に曲がるところに道標がありました。残念ながら読み取れません。
2019/02/11 14:16:35
浅川をぐるっと迂回して対岸のところにくると、お地蔵さんと庚申塔らしきものが並んでいました。
2019/02/11 14:36:15
甲州街道と合流です。道しるべなどの石造物があったでしょうが、残っていません。
2019/02/11 14:42:52
明治になってできた道が甲州街道に出る交差点には高幡不動尊道道標がありました。
2019/02/11 14:43:44
日野宿の本陣です。ここをゴールとしてJRで帰りました。