開始日時 | 2018/12/12 12:28:11 | 終了日時 | 2018/12/12 16:26:46 |
水平距離 | 18.52km | 沿面距離 | 18.87km |
経過時間 | 3時間58分35秒 | 移動時間 | 3時間56分38秒 |
全体平均速度 | 4.74km/h | 移動平均速度 | 4.78km/h |
最高速度 | 8.02km/h | 昇降量合計 | 565m |
総上昇量 | 283m | 総下降量 | 282m |
最高高度 | 42m | 最低高度 | -33m |
2018/12/12 12:33:12
綱島街道は江戸時代はどうだったか調べると、稲毛道と呼ばれる道があって、中原街道を横切って溝の口で矢倉沢往還に合流していたとのことで、東神奈川から歩いてみることにしました。
最初は、神奈川警察のところから長津田からの神奈川道と同じ道を行きます。
2018/12/12 12:39:51
スケート場を越えたところで神奈川道から右に分かれます。
2018/12/12 13:22:12
東白楽から東横線に沿って歩きます。妙蓮寺です。
2018/12/12 13:39:23
横浜線を越えて菊名町公園のそばを歩いていると庚申塔がありました。安永2年の建立で、かつてはここに杉山神社があったと説明されています。
2018/12/12 13:42:43
菊名駅のそばで、かまくら道(下の道)に合流です。
2018/12/12 13:59:50
右手に太尾妙義神社の小さな祠があり、前に庚申塔がありました。
2018/12/12 14:07:03
大曽根交差点の手前にお堂があり道祖神が祀られていました。
2018/12/12 14:07:15
すぐそばには庚申塔が二基祀られているお堂があります。文政7年と安永3年の銘があるとのことです。
2018/12/12 14:20:32
鶴見川を渡って、県道の下をくぐって下流側の土手にでました。
そういえば、川の手前にあったラジウム霊泉湧出記念碑が見当たりませんでした。横浜日吉新聞(https://hiyosi.net/2018/12/10/tsunashima_history-5/)によると処分されそうになっていたそうです。
2018/12/12 14:22:06
すぐに土手を離れて戻ると綱島交差点です。
2018/12/12 14:33:37
来迎寺のところに来ました。ここでかまくら道と別れます。
2018/12/12 14:50:01
坂を登り始めるとお堂があり庚申塔らしきものが祀られていました。だいぶ風化しています。
2018/12/12 14:57:07
坂を登りきると庚申塔が並んでおり、右にはお地蔵さんがありました。
2018/12/12 15:16:23
マンションを迂回して行くと、幼稚園の裏手に出て道は細くなっています。
2018/12/12 15:17:15
道は行き止まりとなっていました。迂回していきます。
2018/12/12 15:21:40
薬局のところから通行止めの先のところに行ってみると、通行止めのところから10メートルほどが斜面になって道は失われています。
2018/12/12 15:21:51
進行方向には住宅の裏手に小径があり、歩いて行けます。
2018/12/12 15:36:30
千年の交差点に来ました。前に歩いた中原街道と交差します。
2018/12/12 15:43:27
左に旧道に入るとお地蔵さんと庚申塔が並んでいました。横の坂は麹屋坂と呼ばれているそうです。
2018/12/12 15:55:09
第三京浜を越えると、お地蔵さんと庚申塔などが並んでいました。
2018/12/12 16:00:01
お地蔵さんがありましたが、新しいもののように見えます。
2018/12/12 16:06:12
庚申塔二基が並んでいました。建塔、元禄9年だそうです。
2018/12/12 16:18:09
久本薬医門がありました。江戸時代からの医院があったようです。
2018/12/12 16:18:34
すぐ先にはお地蔵さんがありました。
2018/12/12 16:26:30
溝の口駅を通り過ぎると、すぐ矢倉沢往還です。角に庚申塔がありますが、矢倉沢往還を歩いた時にはお堂に祀られていたと思ったのですが、お堂が撤去されています。
ここをゴールとして夜の飲み会の会場に向かいました。