開始日時 | 2018/02/12 07:40:24 | 終了日時 | 2018/02/12 14:53:02 |
水平距離 | 35.38km | 沿面距離 | 35.80km |
経過時間 | 7時間12分38秒 | 移動時間 | 7時間09分22秒 |
全体平均速度 | 4.97km/h | 移動平均速度 | 5.00km/h |
最高速度 | 8.14km/h | 昇降量合計 | 752m |
総上昇量 | 450m | 総下降量 | 302m |
最高高度 | 192m | 最低高度 | -30m |
2018/02/12 07:44:44
藤沢からの八王子道が、滝山道のほかに、用田、座間を通る道があるととのことで、歩いてみることにしました。
藤沢本町から、白旗交差点に出て北に向かい、少しで左に曲がります。
2018/02/12 07:47:48
少し先の右手に北向地蔵がありました。享保10年のものだそうです。
2018/02/12 08:01:23
少し先まで道はあるのですが、荏原製作所で旧道が失われています。右に迂回していきます。
2018/02/12 08:12:38
荏原製作所から離れるところに庚申塔がありました。文化五年のもののようです。
2018/02/12 08:23:54
善行団地のそばを過ぎ、旧街道らしい道を行きます。左に道祖神が2基ならんでいました。左のは嘉永四(1851)年のものだそうです。左に離れて馬頭観音もあります。
2018/02/12 08:33:40
引地川を渡ります。渡ってすぐ左に行きましたが、まっすぐ行って突き当りを左に行く方が旧道だったようです。
2018/02/12 08:39:42
坂を登ると佐波神社がありました。鳥居の前に庚申塔があり、あつぎ道と道標になっています。安政四年のものだそうです。
2018/02/12 09:01:23
県道に出て、しばらく行くと左に秋葉台公園がありました。旧道は公園の中を斜めに通っていたようなので、公園の中を行きます。
2018/02/12 09:16:15
六地蔵の交差点を過ぎていくと右手に六地蔵が建っていました。左には馬頭観音や道祖神が並んでいます。
2018/02/12 09:38:38
柏尾通り大山道と合流しました。すぐの歩道橋の下に庚申塔があります。
2018/02/12 09:47:18
中原街道と交差する用田交差点の大山道標です。
2018/02/12 09:56:43
目久尻川を渡ると大山道標がありました。右に並んで立っている道標には、「右 座間休息山 上依智星下 道」とあり、日蓮に関係ある圓教寺、妙傳寺を案内しています。
2018/02/12 10:02:27
根恩馬バス停のところの交差点で厚木街道が左に分かれ、座間方面は右に行きます。上依知に行くのは左と思いますが、座間方面に向かいます。
2018/02/12 10:12:29
少し歩くと、左に有馬のはるにれがありました。樹齢は300年以上とみられ、昭和29年に県指定天然記念物となっているそうです。北大にあったエルムと同じですが、こちらでは種類がわからずなんじゃもんじゃの木と呼ばれていたそうです。
2018/02/12 10:37:30
しばらく歩くと五社神社がありました。日本武尊 の腰掛け石があるそうです。
2018/02/12 11:02:46
矢倉沢往還との交差点に来ました。左の消防団詰所の脇に庚申塔などが並んでいます。
2018/02/12 11:05:42
左手には広々とした国分寺跡があります。
2018/02/12 11:26:22
しばらく歩いて上今泉までくると左手に岩船地蔵がありました。右側が岩船地蔵尊で、享保4年のものだそうです。
2018/02/12 11:33:00
少し歩いていると、左に石造物がありました。上に不動明王が載った大山道標のように見えます。左に入る道は厚木の渡しに続いており、矢倉沢往還に合流して大山に向かう道を案内しているようです。
2018/02/12 11:46:21
左に曲がったところに鈴鹿神社がありました。鳥居の左には文政10年の道祖神があります。
2018/02/12 11:49:07
右にお堂(閻魔堂)があり、前に藤沢街道とある新しい石柱が建っています。
2018/02/12 11:50:00
左に曲がる角に道祖神があり、右前には丸い石があり力石の説明板がありました。明治45年再建とあり、右に原町田道、左に藤澤八王子往還とあります。
2018/02/12 11:53:45
県道に合流するところに庚申塔などが並んでいました。藤沢街道の始まりとの説明があります。「この方、ふちさわ 加まくら」「此方 八王子 ふちう」とあるそうです。
2018/02/12 12:13:02
県道をしばらく歩いて、右に分かれて行ったところに一里塚の碑がありました。家康の柩を日光へ運んだ時に作った一里塚だそうです。柩は、たぶんまっすぐ勝坂を通って府中に向かったと思いますが、このあたりから左にいく八王子道は失われているので、すぐ先で高校に沿って左に行きます。
2018/02/12 12:13:44
すぐ先には庚申塔や馬頭観音が並んでいました。
2018/02/12 12:20:58
鳩川を渡る武井橋のところに石塔がありました。「南無阿弥陀仏」、「一遍上人」とあり、当麻の無量光寺と関わるものだそうです。
2018/02/12 12:28:41
右手に立派な庚申塔がありました。明治5年のものだそうで、このあたりには明治5年の庚申塔が多く残っているそうです。
2018/02/12 12:35:43
旧道が右に分かれるところに庚申塔などが並んでいました。円柱と角柱のいずれの庚申塔も明治5年のものだそうです。
2018/02/12 12:37:15
前に歩いた府中通り大山道と交差します。
2018/02/12 12:54:46
「いきいき未来相模川プラン」で八か所えらばれた1つだそうで、大山がよく見えます。
2018/02/12 13:17:00
県道をしばらく歩いていると、斜めにまっすぐな道が横切っています。横浜水道道です。西谷浄水場に水を送っている水道管が埋まっているのでしょう。
2018/02/12 13:26:10
県道をだいぶ歩いてくると、庚申塔などが並んでいました。右端の庚申塔は元文五年、二番目の庚申塔が享和元年、3番目の堅牢地神塔は天保八年、右端のは湯殿山とあり、享和三年のもののようです。
2018/02/12 13:35:16
田尻の交差点で当麻の渡しからの道と合流しました。不動明王像が載った大山道標(嘉永二年)などが並んでいます。
2018/02/12 13:41:40
鳩川を渡るちとせ橋の手前に大山道標などが並んでました。こちらは寛政七年のもののようです。
2018/02/12 14:41:11
八王子通り大山道で見た橋本棒杭の大山道道標のところに着きました。ここから八王子までは歩いた道なので、ここをゴールとして橋本駅から帰りました。