開始日時 | 2017/12/30 08:18:32 | 終了日時 | 2017/12/30 15:31:43 |
水平距離 | 34.97km | 沿面距離 | 35.40km |
経過時間 | 7時間13分11秒 | 移動時間 | 7時間05分06秒 |
全体平均速度 | 4.90km/h | 移動平均速度 | 4.98km/h |
最高速度 | 11.11km/h | 昇降量合計 | 1012m |
総上昇量 | 457m | 総下降量 | 555m |
最高高度 | 196m | 最低高度 | 6m |
2017/12/30 08:23:47
大山道の八王子通りを歩くことにしました。片倉までは絹の道歩きで歩いているので、片倉駅から歩きます。
すぐ、旧家のところで絹の道と分かれます。
2017/12/30 08:46:30
16号に出て東京工科大前の交差点まで来ました。ここからの大山道は山に登っていくのですが、失われているそうで、右手に迂回していきます。
2017/12/30 08:53:36
友人が結婚式を挙げた日本閣に着きました。左手の駐車場の向かいから入る旧道が残っているとのことで、探してみます。
2017/12/30 08:54:02
駐車禁止の標識のそばから急な登る道がありました。霜柱を踏みしめ登ります。
2017/12/30 08:56:53
気持ちの良い道が残っています。
2017/12/30 09:12:55
八王子バイパスを越えて橋本の街に下っていきます。大山がよく見えます。
2017/12/30 09:23:04
町田街道を越え、境川を渡り、神奈川県に入りました。橋本宿の始まりです。
2017/12/30 09:24:47
右手に立派な長屋門がありました。
2017/12/30 09:28:22
左手に秋葉大権現とある石塔がありました。天保5年(1619)に建立されたそうで、右側に出羽三山の参詣供養塔、三王社など石仏が並んでいます。
2017/12/30 09:32:17
橋本商店街を通って歩いていると、右手に神明大神宮がありました。
2017/12/30 09:34:24
JRの踏切を渡ります。大山街道踏切です。
2017/12/30 09:44:17
突き当りに棒杭の標識がありました。大山道は、棒杭で田奈方面と当麻方面に分かれていたそうで、区画整理まえのもともとの追分の棒杭道標が残っているというので、寄り道してみていきます。
2017/12/30 09:45:32
住宅の間の私道を少し入ったところに不動明王が乗った道標がありました。これが棒杭と呼ばれていたようです。
2017/12/30 10:07:53
しばらく歩いて坂を下っていると、新道坂、神明坂と標識がありました。神明坂が改修されて新道坂になったようです。そばにはお地蔵さんがまつってあります。
2017/12/30 10:15:53
久沢橋の手前で、大山道がかぎ型に曲がるところに神社があり、裏手に大きな庚申塔がありました。前は350mほど手前の久保沢街道との交差点にあったそうです。
2017/12/30 10:16:34
左の手前のお堂には一石六地蔵が祀ってあります。左右の面にも2体ずつお地蔵さんがあります。
2017/12/30 10:33:31
三菱重工の工場を過ぎると、あか坂の標識がありました。赤土の坂道だったそうです。
2017/12/30 10:47:05
県道54号線と合流するところに2体のお地蔵さんが並んでいました。宝暦7年のものだそうです。
2017/12/30 10:50:22
水郷田名へ下り始めるところに石塔が集められていました。薬師堂跡だそうで、右の塔は文政3年の聖徳太子塔だそうです。
2017/12/30 10:54:49
しろ坂を下ってくると、旧大山街道の道標と石仏などが並んでいました。
2017/12/30 11:02:56
右手に赤い鳥居があり、白子園稲荷と大鷲神社が並んで祀られていました。
2017/12/30 11:04:40
相模川畔にでると、久所の渡しの碑がありました。今は橋があるので楽ちんです。
2017/12/30 11:09:09
川を渡ると小沢渡船場跡の説明板がありました。それぞれの岸でそれぞれの名前を付けていたようです。
2017/12/30 11:11:54
川沿いから右に入るところに石仏と石塔がありました。石塔の上に、かつては不動明王が載っていたようです。
2017/12/30 11:22:19
小沢坂を登りきるところに馬頭観音が壁に納めされていました。
2017/12/30 11:25:16
すぐ県道から分かれるところに大山道の道標がありました。そばには大塚地蔵もあります。
2017/12/30 11:59:39
道の角に石仏がありましたが、頭が丸石に換えてあります。そばには大山道の新しい道標もありました。
2017/12/30 12:09:21
中津川に沿った道、中津往還に合流した右手に石仏などが並んでいました。右端の不動明王を載せた道標には大山道とあったと思われますが、風化していて読めません。
2017/12/30 12:14:23
旧相模陸軍飛行場の排水路橋を越えて中津川に向かって降りていきます。坂本坂との石の標識がありますが、金網があって見づらいです。
2017/12/30 12:28:34
中津川を渡ると才戸の渡しの碑がありました。昭和4年まで渡しだったそうです。
2017/12/30 12:55:50
しばらく県道歩きで荻野新宿に着きました。府中通りと合流です。
2017/12/30 13:06:43
すこし県道と分かれて旧道をあるき、県道と合流するところに庚申塔道標がありました。
2017/12/30 13:10:55
左手に富士塚石碑がありました。左端には弓を背にした像があります。富士塚になる前は彦惣塚だったそうです。
2017/12/30 13:58:54
だいぶ歩いて、右手に道祖神らしきものがありました。風化が進んでよくわかりません。
2017/12/30 14:14:23
玉川を渡ると小野神社がありました。子供が楽しそうに遊んでいます。
2017/12/30 14:19:09
左手に新旧の双体道祖神が並んでいました。
2017/12/30 14:24:26
坂を登っていると左手に振るそうな道祖神がありました。
2017/12/30 14:26:46
登りきると津古久峠に着きました。後北条時代に小田原と武蔵を結ぶ小田原道として発達し 江戸時代になると 大山参りの人々がこの峠を越えたと説明されています。
2017/12/30 14:31:22
車道から外れ、自然散策路を登っていくと津古久峠茶屋跡の碑がありました。このさきすこし山道が続いた後、専修大学のグラウンドのそばを通って下っていきます。
2017/12/30 15:02:32
少し東名に沿って歩くと見覚えがある双体道祖神のところに出ました。今日の目的地である柏尾通り・矢倉沢往還からくる道との合流です。
疲れた足を引きずって、伊勢原の駅から帰りました。