開始日時 | 2017/12/11 07:42:55 | 終了日時 | 2017/12/11 11:08:49 |
水平距離 | 16.37km | 沿面距離 | 16.49km |
経過時間 | 3時間25分54秒 | 移動時間 | 3時間20分45秒 |
全体平均速度 | 4.81km/h | 移動平均速度 | 4.92km/h |
最高速度 | 7.63km/h | 昇降量合計 | 446m |
総上昇量 | 259m | 総下降量 | 187m |
最高高度 | 89m | 最低高度 | 0m |
2017/12/11 07:52:41
芝生追分からの相州道を歩いたのに続き、保土ヶ谷宿からの相州道を歩くことにしました。
保土ヶ谷駅から、旧東海道筋を少し上ると、旧中橋跡がありました。かつて今井川はここで宿場をよこぎっていたそうです。ここから左に古町通りを行きます。
2017/12/11 07:56:59
古町通から別れて大蓮寺に沿って上るところに保土ヶ谷宿とある石碑がありました。古東海道とありますが、江戸時代初期に東海道が通っていたところで、いわゆる古東海道ではなく、一般的には古町通とよばれているようです。
2017/12/11 07:58:16
大蓮寺に沿って上っていきます。
2017/12/11 08:04:14
月見山交差点に着くと、道祖神がありました。桜ケ丘の石碑と説明板もあります。寛永6年のものだそうで、新道供養塔とありますが、新たに二俣川からの道を造ったのではなく、道を改修したものと思われます。
2017/12/11 08:45:43
右に行くと市沢ですが、左に行くと南本宿です。
2017/12/11 08:54:23
環状2号線を越えていくと、右の上に市沢稲荷がありました。道祖神の道標があるというので見ていきます。
2017/12/11 08:56:38
どちらも右とも左りとも読めませんよね。右になおしたのなら「り」を消せばよいのに残しているから、旅人は悩まされたと思われます。
2017/12/11 09:00:39
市沢稲荷の庚申塔はここの角にあったと考えています。どうでしょうか。
2017/12/11 09:04:21
市沢交番のそばには石碑が並んでいます。左端の庚申塔には、「左 加な川 右 ほと可や」とあり、
ここまで歩いた道を保土ヶ谷と案内しています。
2017/12/11 09:11:05
芝生追分から歩いた道との合流地点です。神奈川宿に向かう人は、案内がないと左の坂を登らずまっすぐ行ってしまいそうです。たぶん市沢交番のそばの道祖神道標はここにあって移設されたと思われます。
2017/12/11 09:13:25
市沢の分かれ道で分かれたみちと、三反田で合流するところに出羽三山供養塔がありました。大正時代のもののようです。
この先は先日歩いているので、ここから市沢に戻って、新桜ケ丘の追分から三ツ境に向かって歩いてみます。
2017/12/11 09:14:46
左手の旧道にはいると、お地蔵さんがありました。宝暦14年とありますが、きれいで新しく見えます。大事に守られてきたのでしょう。
2017/12/11 09:29:28
市沢小学校裏に庚申塔があるというので、寄り道してみていきます。宝暦5年(1755)のものだそうです。
2017/12/11 09:32:27
市沢小学校をすぎ、坂を下りてくると立派な庚申塔がありました。「右かまくら道 左ぐみょうじ道」とあります。弘明寺は保土ヶ谷を通った先なのですが、かまくら道はどこの道を案内しているのかよくわかりません。右に行くと熊野神社の境内になります。
2017/12/11 10:19:06
新桜ケ丘の追分から南本宿に向かって歩き、前にかまくら道を歩いたところに出ました。少し右に行き、すぐ左の広い道に戻ります。
2017/12/11 10:32:34
万騎が原に向かい、歩いていると万騎が原団地そばに道祖神の道標がありました。右面に大山道とあります。そばには畠山重忠公遺烈碑もあります。
2017/12/11 10:56:54
三ツ境に向かってだいぶ歩いて中希望が丘までくると、庚申塔がありました。左大山道とあります。
2017/12/11 11:08:46
武相国境の道と合流し、三ツ境まで歩いて、先に歩いた相州道と合流しました。三ツ境の駅から帰りました。