開始日時 | 2017/06/09 08:20:24 | 終了日時 | 2017/06/09 13:01:46 |
水平距離 | 22.35km | 沿面距離 | 22.63km |
経過時間 | 4時間41分22秒 | 移動時間 | 4時間35分04秒 |
全体平均速度 | 4.82km/h | 移動平均速度 | 4.92km/h |
最高速度 | 14.93km/h | 昇降量合計 | 574m |
総上昇量 | 271m | 総下降量 | 303m |
最高高度 | 79m | 最低高度 | -63m |
開始日時 | 2017/06/09 13:17:19 | 終了日時 | 2017/06/09 15:15:58 |
水平距離 | 9.85km | 沿面距離 | 9.93km |
経過時間 | 1時間58分39秒 | 移動時間 | 1時間57分34秒 |
全体平均速度 | 5.02km/h | 移動平均速度 | 5.06km/h |
最高速度 | 7.81km/h | 昇降量合計 | 217m |
総上昇量 | 85m | 総下降量 | 132m |
最高高度 | 46m | 最低高度 | -15m |
2017/06/09 08:23:40
浦賀道を歩きましたが、さらに南の三浦半島を歩いてみることにしました。逗子からバスで元町(葉山)まで行き、歩き始めます。元町交差点の少し手前の和菓子屋さんのところから右に入ります。
2017/06/09 08:31:26
少し県道を歩いて、また外れていくと森戸神社がありました。この先、ところどころ海岸の砂浜歩きです。
2017/06/09 08:45:44
御用邸の手前では長く砂浜歩きです。
2017/06/09 08:54:56
御用邸の前を行きます。
2017/06/09 09:17:29
長者ヶ崎の先で左に旧道は登っていきます。三浦半島の西海岸がよく見えます。手前から佐島、荒崎、諸磯崎が見えています。
2017/06/09 09:18:16
すぐ先に道標がありました。還東峠を経て大原鞍馬道とあります。大原・鞍馬は京都ではないかと不審に思いましたが、京都の太秦撮影所にあった小道具だったようです。
2017/06/09 09:23:04
坂を下っていると庚申塔が並んでいました。古いものは元禄5年だそうです。
2017/06/09 09:26:22
さらに坂を下ってくると2組の六地蔵などが並んでいました。
2017/06/09 09:54:09
ところどころ国道から外れて旧道を歩きます。向坂とある標柱のそばに庚申塔が並んでいました。中央のは延宝5年のもののようです。
2017/06/09 09:55:57
向坂を登りきると庚申塔などが並んでいました。南無庚申塔とあるのは宝暦13年建立だそうです。
2017/06/09 10:27:53
国道から左に外れて旧道を歩いていると正面に庚申塔が並んでいました。
2017/06/09 10:29:00
すぐ先には六地蔵が庚申塔とともにならんでいました。
2017/06/09 10:43:56
自衛隊に沿って林のロータリーを過ぎていくと子育地蔵尊がありました。
2017/06/11 06:39:36
左の民家のところに庚申塔があり、その後ろの庭には黒石が顔を出しており、また、向かいには塔の石という岩があり上に六地蔵が祀ってあったらしいのですが、気づかず通り過ぎてしまいました。googleのストリートビューの画像です。
2017/06/09 10:49:20
すぐ先の三浦縦貫道の手前に題目石などがありました。
2017/06/09 10:50:50
三浦縦貫道を越えると、たくさん庚申塔が並んでいました。左右に並ぶ10基のうち8基が庚申塔、1基が甲子塔、1基が聖徳太子塔だそうです。
2017/06/09 11:54:11
気持ちのよい広々とした丘の上の畑のなかを通り、京急を越えていき、下宮田の交差点に着きました。東の三崎道と合流です。ここから右に三崎港を目指します。
2017/06/09 11:54:24
交差点のそばに、道標かあるかと思えば、錦島三太夫墓とあります。江戸時代の力士で寛政5年に亡くなった錦島部屋の年寄三太夫を供養するため、享和元年、三浦郡をはじめ、鎌倉や藤沢などの素人相撲の力士達によって建立されたそうです。台座下には「北浦賀道 西鎌倉道 南三崎道」とあるそうで、道標も兼ねていたようです。
2017/06/09 12:12:32
歩いていると、左に引橋の説明板がありました。ここに橋があって、敵が攻め寄せた時、その橋を引いて防いだところから引橋の地名がおきたと伝えられているそうです。
2017/06/09 12:19:11
坂を下りていくと右手に夫婦地蔵がありました。心中した茶屋の老夫婦を供養したものだそうです。
2017/06/09 12:23:06
さらに下ってくると歩道に祠があり、六十六部廻國正念上座とある供養塔がありました。
2017/06/09 12:41:46
左手にお堂がありお地蔵さんがならんでいました。原の身代わり地蔵の説明板がありました。お堂の本尊も地蔵菩薩だそうです。
2017/06/09 12:58:41
突然前に海が出てきました。三崎港です。西の三崎道を歩き終えました。このあと東の三崎道を歩こうと思うのですが、暑い中の登りが多い国道歩きを避け、下宮田の交差点のそばまでバスで戻ることにしました。三浦海岸のほうに行くバスに乗り、半次バス停で降りて歩き始めます。
2017/06/09 13:27:01
西の三崎道から分かれて丘陵の畑の中を歩いて、下り始めて国道が左に曲がるところから左に入る旧道がありました。こちらを下っていきます。
2017/06/09 13:29:10
下ると右手に庚申塔などが並んでいました。
2017/06/09 13:35:25
左手にお堂があり庚申塔が並んでいました。右から2番目のは元文4年のもののようです。
2017/06/09 13:54:23
三浦市と横須賀市の境のあたりで海岸に出てみました。天気も良く房総半島もよくみえます。
2017/06/11 06:35:58
右手に庚申塔群があったのですが、見落として通り過ぎてしまいました。参考にgoogleストリートビューの画像を載せておきます。
2017/06/09 14:18:26
まっすぐな道なりに旧道を歩いてきましたが、長沢の川を渡ったところで、道なりではなく左に行き、また右に曲がるところに道祖神が並んでいました。一番奥と二番目は、天保年間に建てられ、三番目の傘付きの庚申塔は、文政年間に建てられたそうです。
2017/06/09 14:21:54
道なりの道に戻ると長岡地蔵堂がありました。
2017/06/09 14:40:24
国道をほとんど歩かずに旧道をあるいてきましたが、最後は国道歩きになりました。少し国道を歩くと左に不動明王像の載った道標がありました。此方たけやま道とあり、左に行くと武山不動だそうです。
2017/06/09 14:49:19
あと少しで坂の頂上です。
2017/06/09 14:53:10
右手に尻こすり坂開削碑がありました。昔荷車を引いて坂を下りるときに尻をつかなければならないほど急坂だったそうです。
2017/06/09 15:07:19
久里浜の街に入り、一本左の旧道を行きます。黒船仲通りとある商店街になり、アーケードになっています。
2017/06/09 15:10:57
アーケードを通り過ぎ、平作川に突き当たりました。前に歩いた時に見た記念碑がそばにありました。ここからJR久里浜駅に行き帰りました。