開始日時 | 2017/03/08 07:58:28 | 終了日時 | 2017/03/08 16:34:25 |
水平距離 | 39.48km | 沿面距離 | 39.75km |
経過時間 | 8時間35分57秒 | 移動時間 | 8時間09分31秒 |
全体平均速度 | 4.62km/h | 移動平均速度 | 4.85km/h |
最高速度 | 6.69km/h | 昇降量合計 | 1286m |
総上昇量 | 630m | 総下降量 | 656m |
最高高度 | 62m | 最低高度 | -60m |
2017/03/08 08:09:04
今度は西の浦賀道を歩くことにし、戸塚駅から歩き始めます。広重の浮世絵の吉田大橋から歩こうと思っていたのですが、「浦賀道見取絵図」というのには、この道印がある交差点からが浦賀道だそうでこちらから歩きます。絵図には交差点の左手前に道印が描かれています。ひところは日立製作所の正門の先に移されていたらしいですが、交差点の右向こうに移し替えたようです。
2017/03/08 08:20:28
柏尾川を渡り、JRをくぐっていくと、左手に盛徳禅寺、蔵田寺、林宗寺とお寺が並んでいます。
2017/03/08 08:22:16
蔵田寺と林宗寺の間に出羽三山供養塔がありました。道標も兼ね、「右かまくら道」 「左りむらみち」とあるそうです。
2017/03/08 08:28:21
左に県道から分かれていくと、右に曲がるところに道標がありました。「めんかけ如来道 かさこひ太子道 右かまくら」とあるそうです。
2017/03/08 08:42:30
県道と交差しながら旧道を歩いていきます。迅速地図や浦賀道見取絵図では、この手前でクランク状に道は曲がっていて、お寺のすぐ手前で県道と交差する道が旧道と思えるのですが、そうではないように紹介されているHPが多いようです。
2017/03/08 08:46:49
坂を越えるとかいがら坂とある道標がありました。バス道を掘り下げた時に貝殻がでたから名づけられたそうです。
2017/03/08 09:08:10
しばらく歩いてかまくら道で歩いた新橋にでました。延命地蔵尊があり、そばには道標もあります。
2017/03/08 09:12:11
笠間の交差点を陸橋で越えてゆくと左に今泉村不動がありました。
2017/03/08 09:15:29
少し先の右手に庚申塔などが並んでいました。
2017/03/08 09:30:58
取り壊し中の資生堂の工場跡を過ぎ、一本西の道に移っていくと離山地蔵がありました。もとは山頂にあったものを移したそうです。
2017/03/08 09:38:40
横須賀線を越え、県道に合流するところに道標がりました。藤沢からの道と合流です。
2017/03/08 09:51:44
円覚寺まえを通っていきます。県道に並行する道が右側にあり、牛馬道だそうで、牛馬はこちらを迂回したようです。
2017/03/08 10:08:38
東慶寺、浄智寺を過ぎ、建長寺の前を通っていきます。この先、巨福呂坂切通しで、右手から登ってくる旧道は行き止まりとなっているようです。
2017/03/08 10:19:53
かまくら道あるきや初詣などで何度も訪れている鶴岡八幡宮です。
2017/03/08 10:44:24
若宮大路から左折し、県道を逗子に向かいます。左に入る旧道があり、安国論寺がありました。
2017/03/08 10:49:01
県道に合流して線路を越え、すぐ左に分かれていきます。日蓮乞水の井戸がありました。鎌倉五名水の一つだそうです。
2017/03/08 10:53:22
坂を登っていくと庚申塔と首のないお地蔵さんがありました。お寺などに油のようなものをかけた寺社連続油被害事件の犯人は新興宗教系キリスト教団だったようですが、お地蔵さんの首をもぐ犯人もそうではないかと疑ってしまいます。
2017/03/08 10:54:19
シダの繁った気持ちの良い道を登っていきます。
2017/03/08 11:00:06
登りきると何か所か切通しになっていますが、最後のが一番切通しらしいです。
すく先で住宅街に入り、下って県道に出た先には横須賀線の踏切がなく、向かいに続く旧道には行けません。一つ先の踏切で線路を渡ります。
2017/03/08 11:21:17
逗子のまちを歩いていくと、開成高校の手前に新宿地蔵堂がありました。
2017/03/08 11:49:01
右に庚申塔などが並んでいました。脇町の庚申塔とあります。中央奥の庚申塔は明和9年のもので、「右みさきみち」「左うらがみち」とあるそうです。
2017/03/08 12:18:31
葉山小学校の手前で右に入りましたが、その手前で左に入るのが旧道のようで、道標を兼ねた地蔵菩薩像が残っているそうです。その像のさきで国道を横切り、川を渡り斜面を登っていく旧道は失われているようです。
町役場入口の交差点で国道を横切り、残っている旧道を歩いていくと、県道に出る手前に夜泣石脇の庚申塔などが並んでいました。
2017/03/08 12:20:24
県道に出て、またすぐ左に分かれたところに一色前田の庚申塔がありました。一面六臂の青面金剛像だそうです。
2017/03/08 12:33:38
一色住宅の交差点から左に入るのも旧道のようですが、行き止まりとなっているようでスルーしました。その先は県道から右に斜面をまっすぐ登っていたと思われる旧道は失われているようです。滝の坂の交差点から右に入ると旧道が残っています。少し行くと唐木作の庚申塔がありました。
2017/03/08 12:50:32
県道を少し歩いて、迅速地図を参考に左に入りますが、もっと早く左に入るとの説もあるようです。しばらく行くと左上にお地蔵さんが並んでいました。
2017/03/08 12:50:49
すぐ先には庚申塔などが並んでいました。
2017/03/08 12:55:26
猪俣川を渡ったところに庚申塔が並んでいました。
2017/03/08 13:03:29
県道に出て歩いていると大沢の庚申塔がありました。
2017/03/08 13:13:17
少しだけ左に残る旧道を過ぎ少し行くと左に帝釈天が祀ってありました。
2017/03/08 13:15:22
県道を左にはずれ、横横道路をくぐり、右に曲がると馬頭観音菩薩座像がありました。武州金沢道との分岐点にあったのを移したと説明されています。
2017/03/08 13:18:39
県道を横切り、坂を登っていくと高祖坂の庚申塔がありました。
2017/03/08 13:23:23
すこしいくと藪地蔵がありました。葉山町と横須賀市の境のようで、横須賀市では境地蔵と呼んでいるようです。
2017/03/08 13:24:34
すぐ先の右手には庚申塔がありました。
2017/03/08 13:43:58
だいぶ歩くと庚申塔などが並んでいました。このあたりは伝馬場坂というそうで、屋号が「伝馬場」だった馬の継ぎ立て屋がこのあたりにあったそうです。
2017/03/08 13:58:00
舞台坂を下っていくと五輪塔がありました。
2017/03/08 14:02:35
大きな石碑が2基ありました。大津で合流する前は、金沢道とここで合流していたらしいです。
2017/03/08 14:06:23
左の駐車場のなかに公郷町の庚申塔群がありました。左端のは官営16年のもので、市内最古との説明があります。
2017/03/08 14:23:11
根岸町のアパートのところに青面金剛塔がならんでいました。いまでも庚申講が続けられているようです。
2017/03/08 14:36:51
正面に大津諏訪神社がでてきました。こちらも御柱祭があるようです。
2017/03/08 14:44:58
この間歩いた金沢八景からの浦賀道と合流です。まだ歩けるので、浦賀奉行所まで歩くことにしました。
2017/03/08 15:33:26
この間に撮影済みなので、写真も撮らず浦賀奉行所跡に着きました。今回は浦賀駅ではなく久里浜駅まで歩いて帰ることにしました。
2017/03/08 15:54:13
旧道らしいところを拾いながら歩いていると、浦賀港拓道碑がありました。江戸時代末期、八幡村(現・久里浜)の三富家から出て東京の峯島家を継いだ茂兵衛が、やがて財をなし、明治4年(1871)独力で久比里坂を切り開いたそうです。
2017/03/08 16:05:44
久里浜に着きました。川を渡ると石塔がありました。内川新田開拓記念碑だそうです。すこしで久里浜駅まで行き帰りました。