開始日時 | 2017/02/24 08:42:33 | 終了日時 | 2017/02/24 13:49:44 |
水平距離 | 23.16km | 沿面距離 | 23.54km |
経過時間 | 5時間07分11秒 | 移動時間 | 5時間02分37秒 |
全体平均速度 | 4.60km/h | 移動平均速度 | 4.66km/h |
最高速度 | 6.74km/h | 昇降量合計 | 1104m |
総上昇量 | 546m | 総下降量 | 558m |
最高高度 | 128m | 最低高度 | -63m |
2017/02/24 08:59:09
浦賀道を歩いてみることにしました。江戸から保土ヶ谷までは東海道を、保土ヶ谷から六浦まではかまくらみちで歩いているので、今回は金沢八景駅から歩くことにしました。少しで諏訪之橋に出ました。ここで、かまくらみちとは分かれて浦賀に向かいます。
2017/02/24 09:17:58
国道に出て歩いていると石仏などが並んでいました。傍示堂の石塔群と説明板がありました。武蔵と相模の国境だそうです。
旧道は、この先すぐに左に入り、国道に出ないで雷神社の境内を通っていたようですが、行き過ぎて一本先を曲がりました。
2017/02/24 09:20:24
左に入ると雷(いかつち)神社がありました。永禄年間に落雷があったが、居合わせた12人の村人たちは火雷神のおかげで助かったという言い伝えがあるそうです。
この先すぐに国道に合流するところで誤って少し左に行きましたが、少しで気づいて戻りました。
2017/02/24 09:34:57
国道から線路を渡り、旧道を歩いているとふるさと首斬観音がありました。天保の飢饉のときに処刑された悪人の霊を祀っているそうです。
2017/02/24 09:41:53
浦郷トンネルにさしかかりました。左の階段を上がっていきます。
昭和57年から61年に石井昭さんの書いた「ふるさと横須賀」というのに、「トンネル手前、左側の石段を登る。登り切ると道は左折するが、まつすぐ行く。目の前に思わぬ切通しがある。」とあるので、そのように行ってみましたが、廃屋があり、雑草も茂っていたのですが、道の跡もなんとなく残っていて、通り抜けることができました。
2017/02/24 09:47:19
登りきると、切通しがありました。手前には左から右に浜見台~鷹取山ハイキングコースが通っています。国道から階段を上って、左への道を行けば、このハイキングコースに出て、楽に切通しまで歩けたかもしれません。
切通しの先、すぐに右の国道にまっすぐ下る道が分かれ、その先でも左に船越町の住宅地に向かっていると思われる道が分かれますが、まっすぐ尾根道を行きます。旧道は田浦警察署の先で国道に降りていたようですが、途中に家が建ち通り抜けられなくなっています。
2017/02/24 10:25:08
京急田浦駅から港が丘あたりは旧道はあまり残っていないようです。住宅地から階段上ったあたりから、旧道筋になり、盛福寺、静円寺と過ぎ、御嶽稲荷神社の先に庚申塔などが並んでいました。三猿が刻まれている左のものは延宝4年に建てられたそうです。
2017/02/24 10:35:10
長善寺を越え、登っていくと浦賀道の道標があり、十三峠とありますが、国土地理院の地図ではもっと先が十三峠となっています。ここからは尾根道を行きます。
2017/02/24 10:37:38
尾根道から見える港には自衛艦か米艦が見えます。
2017/02/24 10:56:07
三浦按針墓の案内板があったので、登ってみました。2基の宝篋印塔があり、右が按針、左が妻ユキの墓碑だそうです。
2017/02/24 11:20:00
逸見町に下り、迅速地図には川沿いの細い道が太くあるのですが、左の山際の道のほうが古くからある道と思い、そちらを歩いていきます。京急のガードをくぐると鹿島神社がありました。
ここからは、「ふるさと横須賀」に「小内アパートの前で左折、逸見小に通ずる道路に出る手前を右折する。大須賀歯科医院前を通り、逸見谷戸(やと)川を渡る。・・・浦賀道は、魚正魚店の裏で袋小路。この辺りは定かでない。ともかく今の駅前通りの位置を横切り、喜久の湯と寿食堂の間を入る。 すぐ左折、家並みの中に逸見旅館の前で足が止まる。・・・」とあり、今では逸見旅館もなくなっていますが、これを参考に歩いてみました。
2017/02/24 11:26:30
電柱に東逸見町一丁目36とある逸見旅館跡をすぎ、塩の看板があるお店の角を曲がっていきます。
2017/02/24 11:28:51
登っていくと子育地蔵尊がありました。本尊には左に「元禄十一年丑七月」と、右に「南無阿弥陀仏同行十六人」と刻まれているそうです。
2017/02/24 11:33:16
稲荷山からも軍港が見え隠れします。潜水艦が停泊しています。細い道を行き、下ると汐入駅前に出ます。
2017/02/24 11:54:02
汐入から小学校脇を登って、下ってくると浦賀道の道標がありました。この周辺はうっそうとした樹木に覆われ、うぐいすの鳴く音が絶えないので、特にこの坂は「うぐいす坂」と呼ばれていたそうです。
2017/02/24 12:22:48
深田台を過ぎ、坂を下って京急をくぐったところで右に曲がり京急に沿って行きます。三春町を行くと右手に春日神社がありました。公郷は藤原氏の荘園で、奈良の春日大社から分霊を勧請されたと伝えられるそうです。
2017/02/24 12:29:06
左に砂坂地蔵尊がありました。向かって左が砂坂地蔵尊でイボトリに霊験があるそうで、右はしらすがわ地蔵尊で、近くの白須川の河原から発掘されたそうです。
2017/02/24 12:37:53
戸塚からの浦賀道との合流地点に着きました。そのうちに歩いてみたいと思っています。
2017/02/24 12:54:59
馬堀町から矢ノ津坂を登り、浦賀ICを越えて下っていくと馬頭観音が並んでいました。
2017/02/24 13:14:32
浦賀駅を過ぎ、右に旧道が分かれいくと叶神社がありました。文覚上人が養和元年に建立したとのことです。
2017/02/24 13:23:34
浦賀奉行所への曲がり道に為朝神社がありました。地元の漁民が漂流していた鎮西八郎為朝の木像を拾い地蔵堂に安置したのが始まりだそうです。
2017/02/24 13:26:00
浦賀奉行所跡に着きました。石垣などは当時のものが残っています。
浦賀駅まで戻り、海軍カレーパンを食べながら帰りました。